餘部鉄橋事故犠牲者慰霊碑
  
碑の背景
コメント
1986年12月和風客車「みやび」の回送列車が余部橋梁を走行中、日本海からの強風により客車が全て脱線・転落をした。 転落した客車は鉄橋の真下にあったカニ加工工場を直撃し、工場の従業員5名と列車の車掌1名の6名が亡くなり、6名が重傷を負う事故となった。 
同種の事故としては以下のケースがある。
1978年2月帝都高速度交通営団東西線葛西〜南砂町間の荒川橋梁で突然の強風にあおられ、後部3両が脱線し、最後部2両は転覆した。 (23名負傷)
1994年2月三陸鉄道南リアス線小石浜〜甫嶺間の矢作川橋梁上で突風にあおられたディーゼルカーの転覆した。(5名負傷) 
2005年12月羽越線北余目〜砂越間の第2最上川橋梁付近でいなほ14号が脱線転覆し死者5名負傷者32名を出した。 羽越線の脱線事故の原因は局地的に発生したダウンバーストか竜巻に依るものと言われている。

写  真
基本情報


所 在 地 : 美方郡香美町香住区余部
MapCode : 365832526*58
建 立 日 : 1988年10月23日
建 立 者 : 餘部鉄橋事故犠牲者
           慰霊碑建立発起人会
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2008年 9月4日


碑  文   聖観世音菩薩像建立の趣意
昭和六十一年十二月二十八日正午すぎより山陰特有の低気圧が侵入し列車転覆限界風速を超える強風が連続的に吹き荒れている十三時二十五分頃回送中の下り和風客車みやび号が餘部鉄橋中央より客車七輌の脱線事故で鉄橋下のカニ加工場を直撃し従業員主婦五名と列車車掌一名の計六名もの尊い生命が奪われ六名が重傷を負う未曽有の大惨事が発生した 列車転落事故は明治四十五年に鉄橋完成以来初めての惨事で遺族や関係者にとって深い悲しみは言語に絶した 二度と事故を繰り返さないように慰霊碑建立を遺族一同の呼びかけで関係者があい集い犠牲者の慰霊とご冥福を祈り人々の永久平和と総ての交通安全の願いをこめて現地に聖観世音菩薩像を建立する
  昭和六十三年十月二十三日
      餘部鉄橋事故犠牲者
        慰霊碑建立発起人会

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