列車転覆事故殉難の地
碑の背景
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この事故の原因となった飛行機「紫電改」は川西航空機により、「紫電」の改良型として1943年末に試作1号機が完成した。 44年には試作機も含め67機が製造され、この事故が起こった1945年1月に制式採用となり「紫電改」が誕生した。 川西航空機では海軍鶉野飛行場の隣接地に鶉野工場を設け、紫電改を44機生産した。 事故を起こした機体はこの内の1機と考えられる。
写  真

基本情報
 所  在  地 : 加西市網引町字堂
 マップコード : 133 090 079*16
 建  立  日 : 2003年 8月 8日
 建  立  者 : 事故殉難者慰霊顕彰会
         北条鉄道株式会社
         鶉野平和祈念の碑苑保存会
 種      別 : 事件碑
 撮  影  日 : 2013年 6月12日

碑  文    列車転覆事故殉難の地
 それは1945年(昭和20年)3月31日のことだった。 静かな田園地帯を揺るがす大惨事が起こったのである。
 国鉄加古川線北条支線北条駅を15時50分に出発した610列車(天田機関士)が16時12分網引駅西方300米付近に差しかかった。 折りしも、川西航空機鶉野工場で完成した局地戦闘機「紫電改」(操縦五反栄上飛曹20歳)が試験飛行をするために鶉野飛行場を離陸し、飛行場周辺を飛行し南より西北に向かって着陸態勢をとり高度を下げエンジンを絞った。 その時エンジンが停止した。
 法華口駅を5分送れて出発した列車の目前を飛行機が滑るように降りてきた。 そして尾輪が線路を引っ掛けもんどり打って田地に墜落し、線路が1米ばかり北に移動して傾いた。
 ここで悲劇が起こった。 列車には途中に停車した駅から乗車した人々で満員であった。 列車は脱線し、蒸気機関車は180度転覆、客車は転覆折損し、死者12名(乗客11名と飛行機搭乗員1名)重傷者104名を出す惨事となったのである。
救助のため、軍、消防団、地元の人々が活躍した。 その日、のどかな春の夜のしじまを破る鎚音が不気味な響きを帯びて鳴り続けたという。 夜を徹しての復旧作業が行われたのである。
 ここに加西市における戦前戦後を通じた最大の交通事故の顛末と、その惨禍を後世に伝え残し、併せて犠牲者への鎮魂の思いを込め、郷土の歴史にその事実の概要を留めんとするものである。

   事故の概要
事故のあった場所    加西郡九会村網引
               国鉄加古川線北条支線網引駅西方300m地点
事故の年月日       昭和二十年三月三十一日 午後四時十二分
事故に遇った機関車  蒸気機関車(C12189)
               機関士 天田勇  機関助手 大野道夫  車掌 織辺加七
事故の飛行機      日本海軍・局地戦闘機「紫電改」
              海軍上等飛行兵曹 五田 栄
事故に関係した人々 死者(乗客) 亀田武夫 (33歳) 多可郡黒田庄村
                      藤本正弘 ( 2歳) 多可郡比延村
                      宮崎貞子 (43歳) 加東郡小野町
                      安藤庄治 ( 2歳) 加東郡小野町
                       神沢豊治 (73歳) 加西郡九会村
                      三枝幾治 (38歳) 加西郡北条町
                      網目敏子 ( 2歳) 明石郡魚住町
                      林 孝   (38歳) 多紀郡日置村
                      海軍工作兵 3名  (名前不詳)
            (海軍搭乗員)  第1001海軍航空隊姫路派遣隊
                      五田 栄 (20歳) 石川県出身
            重 傷 者   30名    軽傷者  74名
 

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