竣工記念碑
  
碑の背景
コメント
淀屋橋駅は1963年4月に天満橋から都心方向に延長された際に大阪方の終点として開業した。 この駅は1番線から4番線まであるが、ホームの京都に向かって左側は中央部から京都方は切り欠かれており、京都方のホームが細くなった部分は右側が1番線、切り欠かれた左側が2番線に、大阪方のホームの太い部分の右側が4番線、左側が3番線になっている。

写  真
基本情報


所 在 地 : 淀屋橋駅
       3・4番ホーム突き当たり
MapCode : 1375617*38
建 立 日 : 1963年 4月15日
建 立 者 : 京阪電気鉄道株式会社
種   別  : 開通・開駅碑
撮 影 日 : 2004年12月


碑  文   往昔平安京と浪速を結ぶ交通は淀川を利用する水路に始まりのちにいわゆり京街道が完成すると共に水陸相まっての交流は益々活発化し両都はわが国文化経済の中心として共に繁栄を続けてきた  のち都は東京に移ったが京都は千年にわたる王城の地として国民憧れの古都であり浪速大阪は産業の中心地として民衆と倶に成長してきた近代日本の代表的な経済都市である  従ってこの両都市間の交通を近代化することは明治のわが国文化経済発展のための大きい要請となっていた かかる情勢の下に弊社は明治三十九年大阪高麗橋京都五条大橋間の電気軌道敷設の特許を得四十二年四月十五日はじめて運輸営業を開始し爾来今日に至るまで五十有星霜京都大阪滋賀三府県にまたがる交通機関としてその公的使命を果たしてきた
  近時大阪市周辺の急激な人口増加は都市交通圏の拡大と輸送需要の激増をもたらし都市交通問題はかってない焦眉の問題として世論の対象となった  ここにおいて弊社はこの国民的課題解決の一助とするため昭和三十一年天満橋より淀屋橋にいたる一.六粁の地下延長線敷設の特許申請を提出した  この計画は大阪市営地下鉄と接続することにより京阪両都心を直結せんとするもので昭和三十三年三月の都市交通審議会大阪部会の採択答申が推進力となって翌三十四年二月軌道敷設の特許を得た  しかし本工事は社運を賭しての一大難工事のため特に準備を慎重に期し越えて三十六年一月十日漸く着工の運びとなった  爾来二年三箇月近代技術の粋をつくし弊社の全能力を挙げてこれが建設に当たり三十八年四月十五日奇しくも五十三年前開業の同月同日竣工の式を挙げることを得たのである
  今静かに思いを創業の昔に馳せればまことに感慨無量頭を垂れて先覚諸賢の苦心を偲びあらためて交通事業の使命と重責とを肝銘して全社一致協力本地下線建設の意義を完うし以つて先覚と世人の期待に副わんことを誓う  なお本工事の完成にいたる間関係御当局より賜った御高庇と各界各位ならびに沿道市民諸氏のご支援に対して深甚なる謝意を表すものである
  ここに碑を建て経緯をのべて記念とする
         昭和三十八年四月十五日
          京阪電気鉄道株式会社
                社長 村岡四郎 識
 

 戻る

inserted by FC2 system