地下鉄工事現場ガス爆発事故犠牲者 慰 霊 碑 |
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碑の背景 コメント |
大阪市では1933年に日本で最初の公営地下鉄をとして現御堂筋線の梅田−心斎橋間3.1kmを開業させ、戦前には梅田−天王寺、大国町−花園町で営業を行った。 戦後になると路線の延長と新路線の建設が進められ、1970年の大阪万博開催時には六線で総延長54.3kmの営業を行っていた。 1970年4月8日の17時過ぎに、谷町線が大日に向けて延長工事を行っていた天神橋筋六丁目駅工事現場において地下に露出していた都市ガス用中圧管と低圧管の水取器の継ぎ手部分が抜け、都市ガスが噴出した。 大阪瓦斯職員、消防士、警官に加え、事故を聞きつけた野次馬などが集まった中、地下にたまったガスに引火し大爆発を起こした。 この爆発事故により死者79名、重軽傷者420名、家屋の全・半焼26戸、爆風を受けての損壊336戸、ドアや窓ガラスが割れた家屋1000戸以上という災害となった。 この事故を契機に、掘削によりガス管が露出する場合の防御に関するガス事業法が制定された。 |
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写 真 基本情報 |
所 在 地 : 大阪市北区国分寺1−5 MapCode : 1 437 723*83 建 立 日 : −−− 建 立 者 : −−− 種 別 : 慰霊碑 撮 影 日 : 2012年 6月10日 |
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碑 文 | 昭和四十五年四月八日午後五時すぎ大淀区国分寺町五番地先の市道北野都島線を通る大阪市地下鉄谷町線建設工事現場で発生したガス爆発事故は 平和な夕暮れの町を一瞬にして焦熱地獄と化し 子供 通勤者 沿道の住民 買物客 学生のほか 工事救援関係者を含め七十九名の尊い生命を奪い 四百有余名に上がる重軽傷者を出し また ガスの噴炎 爆風などによる沿道の被害は 焼失した家屋二十六戸四十八世帯 損傷した家屋数百の多数に及ぶ大惨事となった この惨事は 大都市大阪がその過密化を防ぐための再開発途上に起きた未曾有の大災害であったが 今後都市の建設工事を実施するにあたってはさらに安全性の確保に努め 再びこのような惨事を引き起こすことのないようここに祈願と決意を新たにするとともに 殉難の犠牲者七十九柱の尊い御霊の瞑福を祈るため遺族 地元有志並びに関係者相寄り 慰霊碑を建立したものである 昭和四十五年九月建之 |
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