清水太右衛門殉職碑
  
碑の背景
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この碑は大阪駅の神戸方にあった踏切で発生した幼児の飛び出しに対して、踏切手として勤務していた清水太右衛門が自らを犠牲にして幼児を救ったことに対して、建立されたもので、永く、事故のあった西第一踏切付近にあった。 大阪駅は204年から改良工事がスタートした。 工事スタート後に何回かこの碑を探しに行ったが、発見できなかったが、2011年の工事完了とともに、現在地に移築されたものである。

写  真
基本情報


所 在 地 : 大阪市北区梅田3丁目
MapCode : 1167738*18
建 立 日 : 1956年 5月31日
建 立 者 : −−−
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2012年 6月10日


碑  文          故清水太右衛門殉職碑陰記
 清水太右衛門は、岐阜縣羽島郡小熊村に生まれ、明治三十一年大阪駅三等駅夫として就職し、誠実勤勉、上下の信望ことのほか厚かった
 明治四十年五月三十一日、西第一踏切番として勤務中、午後六時ごろ、ばく進し来る列車に向かって突如遮断機をくぐり線路上に走り出た一幼女に氣付いた太右衛門は、愕然、大声を發し、とつさに身を躍らせて一瞬これを救ったが、自らは列車に触れ重傷を負い、気息奄々の中にもなお、幼女の危急を叫びつつ遂に職に殉じた  ときに齢五十四才であった
 このでき事に感動した人々は、碑を建立して後世に伝えたが、昭和二十年五月の被曝により破損した
 たまたま故人の五十年忌に際してその修復を企ててここに永く故人の遺烈を伝えようとするものである
      昭和三十一年五月三十一日
         大阪商工会議所  會頭 杉 道助
  
副 碑 文 清水太右衛門殉職碑
 大阪駅職員であった清水太右衛門は、明治四十年五月三十一日午後六時頃、西第一踏切番として勤務中、進来してくる列車に向かって遮断機をくぐり抜け線路に線路上に走り出た幼女に気づき、咄嗟に飛び出して幼女を救ったが、自らは列車に触れ重傷を負い、それがもとで殉職した。 自らの命を顧みず幼女を救い、鉄道員としての職責を全うしたこの出来事に感動した人々が、これを後世に伝えるべく、この碑を建立したものである。

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