動輪碑(竜華操車場跡)
  
碑の背景
コメント
現在の貨物列車はコンテナー列車による拠点間の直通列車が主体となっているが、昭和50年代迄は任意の駅から任意の駅に向けて貨車単位で輸送する車扱列車が主体であった。 貨車は人間と同様に、何回も列車を乗り継いで目的地に向かったが、貨車が列車を乗り継ぐために設けられた場所が操車場である。 操車場には貨車が目的地に向かうために列車を車両単位に分解し、同一方向の貨車を集めて新たな列車を編成する機能を持っていた。 龍華操車場は関西本線と城東貨物線(吹田操車場方向)・阪和貨物線(阪和線方向)の分岐点にあり、 1日当たり1,200両〜1,600両の貨車を分解・再編成する処理能力を持つ、関西地区の拠点として1938年10月に開業した。 1984年に機能を停止し1986年には龍華信号所に降格、1997年に廃止された。
この碑の正面はC57の動輪だけであり、裏側に碑文が書かれている。 碑文中の動輪の由来ではC57101の製造が昭和41年4月となっている。 これは昭和14年の誤りであろうと製造年月を調べたところ、C57101は1939年(昭和14年)の日立製作所製であった。

写  真
基本情報


所 在 地 : 八尾市龍華町二丁目
         久宝寺駅南口ロータリー
MapCode : 1145250*71
建 立 日 : 2006年 3月
建 立 者 : −−−
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2009年12月19日


碑  文           旧国鉄龍華操車場跡の碑
 昭和13年、この地に国鉄龍華操車場が開設され南近畿一円の鉄道輸送の要として、東西約2キロメートル、南北約200メートルの広大な土地に線路を敷き詰め、陸の王者D51から小さな力持ちC11まで多数のSLが蒸気を吹き上げていました。
 戦後の復興期には、一日に約1,500両の貨車や通勤列車から東京行きの夜行寝台急行までを編成していた車両基地でありました。 しかし、輸送体系の近代化や昭和62年の国鉄民営化とともにその役割を終えました。
 新しい街に生まれ変わった龍華と、その鉄輪の響き合った昭和時代の龍華を繋ぐ想いをSLの動輪に託して、この碑を建てるものです。
   平成18年3月吉日

          動輪の由来
 この記念碑に設置されたSLの動輪はC57101号蒸気機関車に使用されていたものです。
 C57101号蒸気機関車は昭和41年4月に製造され49年9月にその使命を終えるまで、約250万キロを走り抜きました。 主要幹線の急行旅客列車牽引用として活躍、関西線でも同型機が急行「大和」を牽引していました。
 鉄道ファンの間でも流麗快速、走りのきれいな「貴婦人シゴナナ」と呼ばれ、特にこのクローバー型大車輪はSLのシンボルとして愛されてきました。
 

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