安治川口駅事故慰霊碑
  
碑の背景
コメント
1940年1月、単線の桜島線において3分遅れで安治川口駅に進入してきた3両編成の機械式ガソリン動車がポイントを通過中に、駅員がポイントを切り替えたため、最後尾の車両の後部台車が前部台車とは別の経路に入ったまま進行し、電柱に衝突して脱線・転覆した。 この時、ガソリンタンクが破裂し漏れたガソリンに引火した。 この火災事故により189名が死亡、重軽傷者69名の惨事となった。 通常、ポイントを列車が通過中は切り替えが出来ないように鎖錠装置が付いているが、当時の西成線(現桜島線)には取り付けられていなかった。 一つの事故での死者189名は史上最悪である。

写  真
基本情報


所 在 地 : 大阪市此花区島屋6丁目
            安治川口駅
MapCode : 1308345*60
建 立 日 : 1963年 4月15日
建 立 者 : −−−
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2008年 9月 6日


碑  文    昭 和 十 五 年      安治川口驛
  南無阿弥陀仏慰霊碑
   十 月二十九日      事故遭難者

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