水難記念
碑の背景
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1953年8月14日日本海からの寒冷前線が京都付近に停滞していたところに、沖縄南東の海上にあった台風7号から湿気を含む空気が流れ込み、前線が活発になり3時間降雨が100mm〜200mmの豪雨となった。 この豪雨が降った範囲は限られて居り、京都市内では雨量も少なかった。 この豪雨により玉川が決壊、井出町を中心として死者336名、損壊流出した家屋が904棟、床下浸水は2851棟におよんだ。 ちなみに、この豪雨を報道した朝日新聞は「集中豪雨」という用語を使用したが、これが集中豪雨という言葉が使用された最初とのことである。

写  真

基本情報

 所  在  地 : 井手町井手
            玉水駅
 マップコード : 11772575*78
 建  立  日 : 1982年 1月15日
 建  立  者 : 玉水駅
 種      別 : 災害碑

 撮  影  日 : 2008年 9月 5日

   水難記念
       昭和二十八年八月十五日
 南山城水害。 それはこの町にとっては忘れ難い悲運な記録である。
 前夜来の雨は時間雨量百五十ミリを超える稀有の集中豪雨となった。 そして暗夜の中に猛り狂った水魔は町も人も一瞬のうちに蹂躙一夜明けた町は百七人の犠牲者を含む無残な受難地獄であった。
 当液も駅舎ホームは文字通り河原と化したがこの石(六トン)は東南約五百メートル先の玉川から押し流されてきたものである。
   昭和五十六年一月十五日建立
      玉水駅

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