東福寺−三条間地下化記念
  
碑の背景
コメント
京阪電鉄は1910年4月に天満橋−五条で営業を開始し、1915年には三条まで線路を延ばした。  東福寺と七条の間で東海道本線と交差をしているが、この地点より北側の区間約2.6kmが連続立体交差事業により地下化された記念としてこの碑が建立された。 この区間では祇園四条で四条通、清水五条で国道1号線、七条で七条通という京都を東西に横切る大きな通りと交差をしており、道路交通上大変なボトルネックとなっていた。 京阪電鉄の地下化によりこれらのボトルネックが解消されるとともに、旧線路式は鴨川沿いを南北に走る川端通となり、京都市内の交通事情緩和に大きな貢献がなされた。  この工事の総工費は580億円とのことである。

写  真
基本情報


所 在 地 : 京都市東山区五軒町
     三条駅地下コンコース 駅長室前右
MapCode : 7618540*24
建 立 日 : 1987年 5月
建 立 者 : 京都市
       京阪電鉄
種   別  : 達成碑
撮 影 日 : 2009年12月17日


碑  文 京阪電鉄京阪本線は、明治四十三年四月、京都と大阪を結ぶ都市間鉄道として、京都五条から大阪天満橋の間で営業を開始し、次いで大正四年拾月京都三条まで延伸された。
このとき三条・塩小路間の線路は、鴨川の堤防上に敷設されたが、昭和十年二度にわたる鴨川のはん濫を契機として、河川改修に伴う鉄道の地下化が計画された。 しかし、この計画は第二次世界大戦のため廃止の止むなきに至ったのである。 その後、経済の高度成長と車社会の到来にともない都心部の道路事情が、著しく悪化したことにより、京都の新しいまちづくりの一環として、昭和五十四年三月京都市の都市計画事業として着手したのである。
本事業は、京阪本線三条・東福寺駅間のうち二・八キロを地下化することによって、八か所の踏切を廃止し、東西道路の機能回復を図るとともに、更に線路跡地に都市計画道路を建設する事によって都心部の南北交通の混雑緩和を図るという大規模なもので、京都のまちの活性化と魅力ある都市景観の創造、並びに鉄道の輸送力増強に大きく寄与するものである。
列車を運行しつつ、京都の古い街並みに沿って行う地下化工事は、地下水の多い砂礫層地盤という悪条件もあって永い歳月を要したが、昭和六十二年五月ようやく開通の運びとなった。
本事業の遂行に当たり、関係各位より賜った手厚いご指導とご高配に深く感謝し併せて沿道の方々並びに乗客の皆様方のご協力とご支援に対し深甚なる謝意を表する次第である。
ここに経緯を述べて記念とする。
   昭和六十二年五月
        京  都  市  長         今川正彦
        京阪電気鉄道株式会社 社長  角田 寛


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