自動信号化
1万km達成記念標識

  
碑の背景
コメント
1877年10月1日神戸―西宮間で上り旅客列車と下り回送列車が正面衝突をし、乗務員3名が亡くなられた。 この事故は日本で最初の鉄道死亡事故である。 当時は駅長同士が電信連絡で列車の運行管理を行っていたが、この事故により、一区間に1本の列車しか入れない様にする票券閉塞方式の導入が前倒しされた。  票券閉塞の次に導入され、全国で長く使用されていたのがタブレット閉塞である。 この後、連査閉塞・連続閉塞等が導入されたが、これらは人手を介する閉塞方式であった。 これに対して閉塞区間ごとに軌道回路を設定し、列車の車輪で回路を短絡させることにより閉塞区間内における列車の有無を人手を介さずに自動で制御する信号方式が自動信号である。 自動信号は1904年に甲武鉄道(現在の中央線)飯田町−中野間でが最初に導入された。 自動信号は列車本数が多い主要幹線から地方線区へ、複線区間から単線区間へと逐次導入され、これに伴いタブレット閉塞が淘汰されていった。 

写  真
基本情報


所 在 地 : 京都市伏見区桃山町鍋島
         桃山駅
MapCode : 7347477*04
建 立 日 : 1975年11月18日
建 立 者 : 天王寺鉄道管理局
       大阪電気工事局
種   別  : 達成碑
撮 影 日 : 2009年12月17日



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