神足駅五十周年
  
碑の背景
コメント
1874年5月大阪−神戸間が開通した東海道線は、1876年7月には大阪−向日町間を、同年9月には向日町−大宮通間を開通させた。 翌1877年2月には大宮通−京都間が開通し、2月5日には京都−神戸間の全通を祝い、天皇陛下を迎えて、京都駅で鉄道開通式が挙行された。
京都−神戸間の全通時に設けられていた駅は京都・向日町・山崎・高槻・茨木・吹田・大阪・尼崎・西宮・住吉・三ノ宮・神戸の各駅であった。 このため神足付近の人は向日町か山崎まで4km強の距離を歩く必要があった。 このため、地元では駅設置への運動が行われ、1931年8月に地元の地名をとり神足駅が開設された。 その後、地元は神足村→長岡町→長岡京市と名称が変わったことにより、1995年9月に現駅名である長岡京駅に名称変更された。

写  真
基本情報


所 在 地 : 長岡京市神足二丁目
        長岡京駅西口
MapCode : 7309341*06
建 立 日 : 1981年 8月 1日
建 立 者 : −−−
種   別  : 周年碑
撮 影 日 : 2009年12月17日


碑解説
(本碑の右 
 手に設置)
   神足駅から長岡京駅へ
この駅は、昭和6年8月1日国鉄(当時省線鉄道省)神足駅として開設されました。 開設前には乙訓郡内の国鉄の駅は、隣接の山崎駅と向日町駅の二つだけで、現長岡京市域である当時の新神足・海印寺・乙訓三村の住民は、たいへん不便を感じていました。 そのような中で、地元の皆さん、主として新神足村の住民の皆さんが新駅設置の運動を起こされ、駅にかかる用地買収費、駅舎建築費など地元新神足村には受益者負担金が課せられました。
特に現駅舎周辺の土地所有者には、大きな負担となりました。 また、全戸からも割当寄附などによる村ぐるみの努力で当時の「神足駅」は、住民の請願駅として開設されたものです。
村は神足駅開設とともに発展し、昭和24年三村の合併により長岡町が誕生、昭和47年には、市制を施行。 長岡町は、いにしえの都「長岡京」にちなみ長岡京市と変わりました。
神足駅開設当時は、駅前の一部をのぞいて駅周辺は、すべて竹やぶで、昼なお暗いところでした。 以降、田畑や竹やぶでおおわれた純農村も駅東地区に企業が続々と進出してくるなど、都市へと変貌し、神足駅は本市の発展に大きく寄与し、地元住民とともに歩んでまいりました。
近年、この駅は本市の表玄関として内外からの利用者も多く、市民から駅名改称についての要望が多く、ここに「JR長岡京駅」の誕生をみるにいたったものです。
   平成7年9月     長岡京市


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