東経136度の通る駅
  
碑の背景
コメント
 草津線は1889年12月に草津駅〜三雲駅間15.9kmが開通した。 この時設けられた中間駅は石部駅のみであった。 この為、駅の設置について請願等により1922年11月に手原駅が開業した。 この駅のある場所は「東経136度の通る駅」とのキャッチコピーにもあるように、駅の構内を136度の子午線が横切っている(この駅の辺りでは線路が東西に走っているので子午線と線路は直角に交わっている)。 碑文の最後に、この記念碑は子午線上に・・・と書かれているが、国土地理院の地図を調べると、東経135度59分56.7秒であり、子午線が通っている場所はこの場所よりも80m程東になっている。
  
写  真
基本情報


所 在 地 : 栗東市手原三丁目  手原駅前
MapCode : 67 360 757*25
建 立 日 : −−−
建 立 者 : −−−
種   別  : その他の碑
撮 影 日 : 2015年11月 5日


碑  文     手原駅の沿革
 明治二十二年(1889)関西鉄道株式会社の草津〜三雲間が開通。 後、葉山村会の決議や大宝・治田・金勝村長の請願等力強い運動により大正十一(1922)年十一月に開駅、里内新助氏一族の土地の提供や鉄道講等、地元の協力は多大であった。 土地寄進里内五郎氏
 開設前は一面竹藪と桑畑で、切り開かれホームや駅舎が整備された。
 古くは栗太郡北東部の中心地で官衛的な性格の地域であった(手原遺跡)
 昭和四十七年蒸気機関車からディゼル車に昭和五十五年三月には電化された。 同五十七年(1982)には土地区画整理事業により駅前の拡張、南北の自由通路が完成。 平成十六年十一月地元の強い改築要望で新駅舎が完成。

    「手孕(てはらみ)伝説」由来
  新駅外観デザイン・竣工記念碑に導入
 「手の赤ん坊、手が孕ませた村」この奇妙な伝説(十七世紀初頭の文献)により「東海道名所記」にこの地名由来が記され「源平布引滝」は寛延二年大坂にて人形浄瑠璃で初演、歌舞伎でも上演された。
 平成十一年栗東でもこの地が舞台の「手原村秘闘」が上演、百姓九郎助の茅葺入母屋が新駅外観のデザインに導入(さきらオープニング)
 この記念碑は駅構内を通る東経136度の子午線上に九郎助の娘小万が握った「源氏の白旗」がモチーフにほゞ四百年を経て伝説が甦った。

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