参宮線列車事故遭難者慰霊碑
碑の背景
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名古屋発鳥羽行き下り快速列車は1956年10月15日18時22分、11分延で六軒駅にさしかかった。 この列車は当初、六軒駅は通過予定であったが、通過信号機が注意現示であったのを見落とし、駅構内を所定の速度で通過した。 しかしながら、ホーム先端のタブレット授器にタブレットがなく、出発信号機も停止現示である事に気付き非常制動をかけたが間に合わず、列車は安全側線に突っ込み脱線をした。 この脱線で客車は本線を支障する位置で止まったが、そこに、遅れていた上り快速列車が突っ込んだ。 この事故で42名の死者と94名の重軽傷者を出す惨事となった。 この事故による犠牲者の多くは伊勢への修学旅行途上であった東京教育大学付属坂戸高校の生徒であった。 この事故をきっかけとして全国主要幹線への車内警報装置を設置する方針が決定したが、1962年に三河島事故が発生した事により自動列車停止装置(ATS)を整備するように方針が変更となった。
この事故の十三回忌には事故当時、遺体が安置された松坂の清光寺に「国鉄参宮線列車事故殉難者碑」が建立されている。 また、埼玉県坂戸市にある坂戸高校には殉難碑が建立されている。
写  真

基本情報
 所  在  地 : 松阪市小津町
           六軒駅南の踏切西側
 マップコード : 80406457*37
 建  立  日 : 1957年10月15日
 建  立  者 : 
       参宮線列車事故遭難者遺族会

 種      別 : 慰霊碑
 撮  影  日 : 2010年 5月21日

碑 文 昭和三十一年十月十五日午后六時二十分、コノ地ニ於テ列車ノ衝突事故アリ、時アタカモ拾學旅行期 ト県下通勤者ノ帰宅途上ノ刻ニシテ、満員ノ列車ハ忽チ阿鼻叫喚ノ巷ト化シ、一瞬ニシテ四十二ノ尊 キ人命ヲ失ヒ、多クノ重軽傷者ヲ出ス、殊ニ埼玉県坂戸高校修学旅行ノ一行ハ、三名ノ引率教官ヲ失 ヒ生徒ノ大半カ遭難、ソノ惨状ハ言語ニ絶ス、吾等ハ将来カカル惨事ノ絶無ヲ祈念シテ止マス、今コ ノ処ニ慰霊ノ碑ヲ建テ四十二柱ノ御霊ヲ永遠ニ弔シ冥福ヲ資助ス
               昭和三十二年十月十五日
  (以下 四十二名の遭難者氏名 三重県出身十五名 坂戸高校教官・生徒二十七名)

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