青山トンネル事故慰霊塔
  
碑の背景
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1971年10月25日15時37分、青山トンネル東口の手前で上本町発名古屋行き特急がATS故障により停車した。 運転手はATS解除操作を行ったがブレークの解除が出来ない為、手歯止めを噛ませた後、制動不緩解時の基本操作であるブレーキシリンダーのエアーを抜く処置を行っていた。 そこに、東青山駅の助役が来て、運転手に連絡しないままに手歯止めを外す処置を行った。 その結果、列車はブレーキが効かない状態で33パーミリの勾配を暴走し始めた。 列車は東青山駅を通過し、垣内東信号所の安全側線に突入し、脱線転覆した。 そこに賢島発京都・難波行特急が突っ込み正面衝突となった。 この事故は死者25名重軽傷者227名の大惨事となった。 この事故を契機に、1975年11月には新ルートによる複線化が完成し、事故のあった青山トンネルなどの区間は廃止された。
事故の発端となったATS故障は、事故後の詳細な調査によりATS地上電源装置のヒューズ端子締め付けナットの緩みによる接触不良と判明している。
写  真
基本情報


所 在 地 : 津市白山町上ノ村361
           成願寺
MapCode : 342895782*14
建 立 日 : −−−
建 立 者 : −−−
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2010年 5月21日


碑  文 為慰昭和四十六年十月二十五日東垣内列車事故物故者霊位

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