参宮急行電鉄青山隧道供養塔
  
碑の背景
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大阪電気軌道(現近鉄)は大阪から伊勢神宮まで日帰りで参拝出来るよう、線路を東に延長する計画を立て、これを実現させるために1927年に子会社として参宮急行電鉄を設立した。 参宮急行電鉄は1930年12月には上本町−伊勢市間が、31年3月には宇治山田まで開業した。 この建設工事では16カ所のトンネル掘削、135カ所の橋梁架設等の難工事であったが、その中でも青山隧道は当時の私鉄の中では最長のものであり、大林組の施工により1930年8月に竣工した。 しかしながら、この隧道工事では16名の方が亡くなられた。 
名張−中川間の単線区間はこのトンネルを含む上津−中川間を除いて1967年までに複線化されたが、この区間は山岳地帯で難工事が予想されたことから後回しとなった。 1971年10月にこの単線区間で特急同士の衝突事故が発生した事から輸送力向上、運転保安度の向上を図るために抜本的な路線改良が計画され1975年11月22日新青山トンネルを含む区間が完成した事により、旧青山隧道を区間は廃棄された。

写  真
基本情報


所 在 地 : 伊賀市青山町伊勢路
        青山地蔵尊
MapCode : 823000199*30
建 立 日 : 1930年3月
建 立 者 : −−−
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2010年 5月21日




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