高橋熙君之像
  
碑の背景
コメント
この碑がある武豊駅は東海道線建設の際、中京地区における資材運搬線として建設されたため、当初は現在の場所から1kmほど南の武豊港に面した里中交差点の付近にあった。 
現在地へは1892年に移転した。 
高橋駅手が武豊駅に勤務していた1953年9月25日、台風13号が紀伊半島を襲った。 この台風が接近する前から秋雨前線の活動は活発化し、四国から関東にかけての広い範囲で雨が降り続き、多くの河川が氾濫した。 台風が上陸した三重県や愛知県沿岸では高潮が発生し、死者・行方不明が478人と言う災害となった。 武豊線では高潮により武豊〜東成岩間の線路が流失した為、高橋駅手が発煙筒を手に、東成岩駅方面に急を知らせに走った。 この発煙筒を見た武豊に向かっていた列車は東成岩駅に戻り、乗客・乗員約100名は難を免れることができた。 高橋駅手は翌日線路際で殉職しているのが、捜索隊の手で発見された。 この事は全国に報道され、国鉄の鑑であると称賛された。 この功を後世に残すために、国鉄職員等の募金によりこの銅像が建立された。

写  真
基本情報


所 在 地 : 知多郡武豊町金下
MapCode : 17 035 866*12
建 立 日 : 1954年 9月
建 立 者 : −−−
種   別  : 顕彰碑
撮 影 日 : 2012年 3月11日


碑  文    高橋熙君顕彰記
昭和二十八年九月二十五日襲来した十三号台風により 武豊町塩田地區の護岸堤防が決壊し高潮の浸水によって鉄道線路が洗われたので列車の運行が危険な状態となった この時旅客列車が東成岩駅を発車したことを知った武豊駅駅手高橋君は荒れ狂う濁流と暴風雨とをおかして発煙筒を打ち振って危険信号を送った このため列車は危機寸前に停車して多くの乗客の生命は救われたのである 然し高橋君は哀れにも怒流にのまれ悲壮な殉職をとげてしまった
その尊い犠牲的行為に感激し有志が相談して君の胸像を建てその功績を永遠に伝える
   昭和二十九年九月  愛知県知事 桑原幹根撰  志芳書

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