中央線建設工事殉職者慰霊碑
  
碑の背景
コメント
中央西線は1896年11月に名古屋方から工事が始まり、1900年7月に多治見まで36kmの開通を見た。 この区間の内、現在の定光寺−多治見間は岐阜県と愛知県の県境で、土岐川の横を14のトンネルを掘って敷設した区間である。 当時の土木工事で使用する機材はツルハシとスコップしかなく、人力で掘削をした為に難工事となった。 この工事で二十余名の殉職者が出た事により、地元の方々によりこの碑が建立された。 この工事で建設された線は単線であった為に新たに複線電化されたルートが建設され、66年間使用された後に1966年に廃棄された。 廃棄された区間にはレンガで巻かれたまだ多くのトンネルが産業遺産として残されている。

写  真
基本情報


所 在 地 : 春日井市玉野町
            東海道自然歩道入口
MapCode : 500069292*30
建 立 日 : 1900年 6月
建 立 者 : −−−
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2010年 5月20日


副碑 碑文
(碑右前)
    中央線建設工事殉職者慰霊碑
 この碑はJR中央線の鉄道建設工事で職に殉じられた二十余名の方の慰霊碑であります。
 中央線の名古屋多治見間は明治二十九年十一月着工し明治三十三年七月二十五日に開通しましたが、その鉄道建設工事の中でも高蔵寺多治見間は、庄内川に添い山裾を、十四カ所のトンネルで結ぶ厳しい路線で、当時としては大変な難工事でありました。僅か十キロ余の区間でしたが、落盤事故や土砂崩壊で二十余名の方々が尊い命を捧げられました。
 その難工事の状況を目のあたりにした地元の有志の方々相謀り、この殉職者の慰霊碑を玉野町地内の太平寺境内に建て「死有餘栄」という題額のこの碑文を彫り、その霊を慰め、その労苦を顕彰したものであります。
 中央線開通百周年にあたり、太平寺境内から工事現場に近い中央線の旧第一、第二トンネルの間のこの地に移設したものであります。
       平成十二年十月二十六日

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