稲沢操車場跡地
碑の背景
コメント
1980年代の初めまで、貨物列車は様々なタイプの貨車によって編成されていた。 これらの貨車を目的地や目的とする方面別に再編成する場所が操車場であった。 操車場にはハンプと呼ばれる小高い丘があり、ハンプに押し上げられた貨車は頂上で切り離されると、重力で坂を下ることとなる。 ハンプの先には幾つにも分かれた仕分け線が有り、貨車は目的とする線に入ってゆく。 この様にして新たに編成された貨物列車は次の操車場に向かって出発する。
稲沢操車場は関東の新鶴見、関西の吹田と並び日本三大操車場として中京地区の輸送を支えていた。 この操車場ができたのは1925年1月である。 1984年2月にそれまでの操車場を経由する輸送方式が廃止されるにまで、ヤードを使用しての貨物列車編成がおこなわれていたが、この時を持って、操車場としての主要機能を失った。
写  真

基本情報
 所  在  地 : 稲沢市駅前一丁目
 マップコード : 4 578 869*34
 建  立  日 : 2002年11月
 建  立  者 : 稲沢ライオンズクラブ
 種      別 : 跡地碑
 撮  影  日 : 2012年 3月11日

碑  文
                         贈
 日本三大操車場であった稲沢操車場では、1日約4,200両の貨車が取り扱われ、貨車は入換機関車により仕分け作業が行われ日本全国を駆け巡り、日本経済の発展に寄与してきました。
 今稲沢操車場は廃止され尾張西部都市拠点地区の街づくりが進められており、稲沢ライオンズクラブは40周年記念事業として、本事業の成功を祈念して稲沢操車場の最盛期に活躍した、蒸気機関車D51の動輪をモチーフしたモニュメントを贈ります
                       2002年11月
                       稲沢ライオンズクラブ

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