渇水救済記念碑
碑の背景
コメント
1918年に熱海−函南間を結ぶ丹那トンネルが起工された。 この丹那トンネルの工事では、大量の湧水事故が発生し、湧水対策として多数の水抜きトンネルを掘り、丹那盆地の水を抜いてしまう方法がとられた。 これにより、丹那盆地周辺では水が多く、農作物が良く育成していた田畑が水不足となり、飲料水にも事欠くようになった。 この為、住民による抗議運動が行われ、鉄道省は丹那盆地の渇水対策も行った。 しかしながら、トンネル完成後も多量の地下水がトンネルから流出しており、丹那盆地は碑文にある「水利灌漑ノ天恵ヲ享クルコト厚ク四隣ノ羨望スル所」ではなくなってしまった。

写  真

基本情報
 所  在  地 : 函南町丹那
            記念碑前バス停
 マップコード : 116646710*82
 建  立  日 : 1936年12月
 建  立  者 : 函南村■三箇村
             渇水救済促進同盟会
 種      別 : 災害碑
 撮  影  日 : 2007年 3月15日

碑  文 由来我郷土タル水利灌漑ノ天恵ヲ享クルコト厚ク四隣ノ羨望スル所タリキ偶國鉄丹那隧道ノ起工ニ伴ヒ大正十三年函南村畑區地内ノ湧水漸減ヲ初メトシ各地ノ水源逐年涸渇セシヲ以テ之ガ救濟ノ為鐡道省ニ於テ參百萬個人ノ貯水池ヲ工作セント雖モ其効ヲ奏セズ被害地區益々擴大シ昭和七年度ニハ四ケ村十五大字戸數千六百餘戸人口壹萬有餘人田面積五百七拾町歩ニ跨リ播種挿秋ニ際シテハ茫然鍬犂ヲ攜ヘテ田園ニ佇立シ秋收ニ臨ミテハ拱手暗涙ニ咽ビツヽ歳末ノ家計ヲ歎ズルニ至ル加之各地ノ飲料水源亦耗涸シ鐡道省急設ノ簡易水道ニ依リ僅ニ炊餐ニ便ズルノ惨状ヲ呈シ里人ハ自ラ農耕牧畜ノ天職ヲ楽マズ膏腴美田ハ幾年ナラズシテ磽◆荒野ト化シ山光水色亦昔日ノ美ヲ見ル能ハズ有志者日夜鳩首謀議各地ヨリ鐡道當局ニ哀訴歎願幾百回ニ及ベドモ救濟ノ實容易ニ徹セラレズ窮困ノ餘熱望ノ極特ニ或ハ矯激ノ擧ニ出ヅル者アリ寔ニ是レ聖代ノ一恨事識者深ク之ヲ憂ヒ昭味七年被害全地域ヲ一丸トシ渇水救濟促進同盟會ヲ組織シ本縣知事ニ窮状ヲ訴フルヤ耕地課農林主事柏木八郎左衛門氏ニ救濟方策樹立ヲ下命セラル同氏及チ里■ノ有志ト共ニ鉄道當局ト樽俎折衝スルコト年餘新タニ函南村外三箇村普通水利組合ヲ設立シ見舞金總額百拾七萬五千圓ヲ交附セラレ國恩ニ欲セシメラルコトヲ得タリ時正ニ昭和八年八月八日被害閲年十星霜ナリ這四同碑貮基ヲ建立シ要ヲ録シテ後世ニ傳フ云爾

◆:石編に角  ■:門構に千               

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