中部天竜大嵐間付替え線完成記念碑
  
碑の背景
コメント
飯田線の中部天龍〜大嵐間は三信鉄道の手により天龍川沿いのルートで1936年12月に開通した。 翌年の3月には大嵐〜小和田間3.1kmが開通して、豊橋〜辰野間は伊那電気鉄道・三信鉄道・鳳来寺鉄道・豊川鉄道の4社を利用することにより線路が結ばれた。 1943年にはこれら4社の線路が国鉄に買収され飯田線となった。 第二次大戦後の経済復興には天龍川水系を利用した水力発電が必要となり、佐久間町に大型ダムが建設されることとなった。 このダムは当時の日本では最大規模のものであった。 このダムが完成することにより、天竜川左岸を走っていた飯田線佐久間〜大嵐間18kmはダム湖に沈むことになった。 そこで佐久間から峯トンネル3618mで水窪川沿いに抜け、秋葉街道を水窪まで行って、大原トンネル5063mで大嵐に出るルートが選ばれた。 この地域には中央構造線と天龍川断の二つの断層地帯が走っており、隧道掘削はこの断層地帯との闘いとなったが、鉄道工事では最初の前面掘削方式などが採用され2年弱で工事は完了した。 この工事区間中で城西〜向市場間は水窪川左岸を走っているが、途中全長45mのトンネルを掘ったところ、完成後に地盤が変化しトンネル中心線の移動、断面積の変形などが生じたため、このトンネルを放棄し、第六水窪川橋梁が架橋された。 この橋梁は総延長400.7mで、放棄したトンネル部分を川沿いに迂回するもので、左岸から右岸側に向かった後再度左岸側に戻るように半径250mの曲線で架橋されており、左岸から左岸に渡る橋として飯田線の名所となっている。

写  真
基本情報


所 在 地 : 浜松市水窪町奥領家  大嵐駅
MapCode : 661083408*55
建 立 日 : 1956年 7月21日
建 立 者 : 飯田線工事事務所
種   別  : 達成碑
撮 影 日 : 2009年 9月13日


碑  文 佐久間ダムの建設に伴い新しく生まれた付替線は我国屈指の地質不良地帯を通り隧道橋梁など構造物も非常に多く工事は頗る困難を極めたが極力機械化による新工法の採用と関係者の努力の結集により克く大自然を征服し未だかつてない工事速度で着工より23カ月の昭和30年11月11日付替工事を終わった。
  昭和31年7月21日   日本国有鉄道     飯田線工事事務所長  田中武夫


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