軽便鉄道軌道跡
  
碑の背景
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1909年3月、大日本軌道中ノ町線として馬込〜中野町間5.2km開業した。 大日本軌道は雨宮啓次郎が経営していた軽便鉄道会社で福島・小田原・静岡・伊勢・広島・山口・熊本に支社をおいていた。 中ノ町線は浜松支社が開業させた線で、1909年12月には馬込川に橋を架け、南新町まで0.5km伸延、1910年3月には浜松〜南新町0.5kmと中野町を萱場に改称して萱場〜中野町0.5kmを伸延させた。
1919年10月、遠州鉄道に譲り渡され、1925年には浜松軌道(現遠州鉄道)に譲り渡された。
中ノ町線は蒸気機関車が黒煙を上げて走っていたため、沿線からは火の粉飛散に対して廃線運動も起こった。 一方、昭和になるとバスが走る様になり、乗客は所要時間の短いバスの方に取られ、1937年2月に廃止された。 
  
写  真
基本情報


所 在 地 : 浜松市東区中野町385−2
MapCode : 26 230 050*36
建 立 日 : −−−
建 立 者 : 中野町を考える会
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2013年12月12日


碑  文    軽便鉄道軌道跡
 軽便鉄道は明治四十二年から、浜松〜中野町の十一駅間を走っていました。 馬込川沿いの木戸から東海道の南側を走り、この地点で道を北側へ横切り、道沿いの家屋の裏側を通って終点(今の中ノ町自治会館)へ着きました。
 「けいべん」と親しまれたこの列車は、ラッキョウ型の細長い煙突を持ったミニSLで客車一輌を引いて、家並みの軒先すれすれを、のんびり走っていました。 昭和三年以降は軌道自動車(ガソリンカー)に変わり、昭和十二年に廃線となるまで、沿線住民の足として愛されました。    中野町を考える会
  

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