立川勇次郎君之碑
碑の背景
コメント
養老駅の改札を出てた右手に大きな碑が建立されている。 立川勇次郎君碑である。 立川勇次郎が生まれ・育った1862年〜1890年は電気が実用化され始めた時期であり、1879年にはベルリン工業博覧会でシーメンスにより電気鉄道の試験運行が行われ、1895年には京都で日本最初の電気動力による鉄道が生まれた。 立川勇次郎は電気の力に着目し、1899年に川崎大師への参詣客をターゲットとして大師電気鐡道(六郷橋−川崎大師間)を設立した。 その後、故郷に戻り、1911年養老鉄道を創設し養老線を開業させた。 養老線はその後、近鉄養老線となり、現在は養老鉄道として近鉄から分離されている。

写  真

基本情報
 所  在  地 : 養老町
            近鉄養老駅前
 マップコード : 78427033*32
 建  立  日 : 1927年12月14日
 建  立  者 : −−−
 種      別 : 顕彰碑
 撮  影  日 : 2010年 5月20日

碑 文     立川勇次郎君碑
君文久二年二月二十日を以て大垣に生る 藩士清水恒右衛門君の第二子 後同藩士立川清助君の嗣となる
君幼にして頴悟 成童より育英の事に従ひ 旁ら法律の學を■め 弱冠にして辨護士試験に登第し 明治十九年業を東京に開き 頗る令名あり 夙に時運の大勢を洞察し 飜然決意 身を電氣事業界に投じ 同三十二年京濱電氣鐡道會社を創設す
實に関東に於ける電氣鐡道の嚆矢たり  尋いて東京電力會社を起こし 水力電氣事業に先鞭を著け 又照明の忽にすべからざるを察し 同志と共に東京電氣會社を組織して 電球の製造に一生面を開き 或は支那に對する電氣企業の必要に着目して支那興業會社を創立し 或は電氣博覧會を開催して 電氣の智識と應用との普及を圖り 或は日米両國電氣企業家提携の緊切なるを覚り 老躯を挺して米国に航し 四方に勤説して陰に國交に裨補せるが如き 斯界の開發進展に努力せること枚挙に遑あらず 就中雨宮敬次郎氏と力を協せ 東京市街鐡道會社を創設し紛紛たる群議を排して 乗車賃金三銭均一論を提唱し  所謂均一制度を確立せるが如きは 盖し我國交通史上に特筆すべき偉績たり 更に東京大阪間に高速度電氣鐡道を企■し  交通上に新機軸を出さんとし 明治四十年以来 廾年一日の如く 其の達成を期して止まず 亦以て君の志の遠大なりしを知るべ  晩年郷里に養老鐡道會社を創設し 後揖斐川電氣會社を経営するや 其の動力を電氣に改め 又大阪への送電を決行して 長距離送電の■■を為し 志業略成るに■んとして 大正十四年十二月十四日 病を以て東京に歿す
君資性割毅果断 事に當りて惑はす 一路所信に直往し 毀譽得喪毫も意に介せず 活眼時勢の趨嚮を観 企畫概ね一世に先んす 其の事に従ふや精励 其の人に接するや和懌 後進の誘掖を受くる者 皆其の徳に服せざる莫し 君■裏閑あれば乃ち園芸謡曲に悠■せるか如き 亦以て其の為人を想見すべし
今や君逝きて三年 君を追慕するの士胥謀り 君が事功行状の梗■を叙し 碑に勒して養老山麓に建て 以て後昆に傳ふと云爾
         伯爵戸田氏共蒙額    文学博士 南條文雄撰文
                                百錬大野鐡書
   昭和二年十二月十四日



 戻る

inserted by FC2 system