宮脇留之助像
碑の背景
コメント
樽見鉄道は国鉄樽見線として1956年に大垣−谷汲口間が開通、1958年には美濃海神まで伸延したが1981年に第1次地方交通線として廃止が承認された。 1984年10月に国鉄樽見線が廃止され、第三セクターの樽見鉄道が誕生した。 樽見鉄道に転換後の1989年3月に美濃海神−樽見間が延長され現在の形となった。 樽見まで鉄道が延びて来たのは1922年に鉄道敷設法により計画路線となって以来67年の日時を要した。 宮脇留之助は国鉄樽見線が開業するのを見ずに亡くなった。
写  真

基本情報
 所  在  地 : 本巣市根尾板所625
            樽見駅前
 マップコード : 477464786*01
 建  立  日 : 1988年11月
 建  立  者 : 宮脇留之助翁
             顕彰像建立委員会
 種      別 : 顕彰碑
 撮  影  日 : 2010年 5月20日

碑 文    宮脇留之助翁顕彰碑文
氏は明治四年七月 本巣郡根尾村樽見に生まれ十八歳の時 福島県に赴き養蚕技術を習得し 村民の指導に当たる  日清 日露両戦役にも従軍し特務曹長に昇進 勲七等に叙せられる 一方当時の村民生活の窮状を座視出来ず根尾の開発と発展を念じ 若冠二十九歳で村会議員に初当選以来六期又本巣郡郡会議員に初当選以来二期に亘り電信電話の開通道路の改修 治山事業等に尽力するほか名木薄墨桜を中心に付近一帯の開発を提唱 その実現に努力 又この間国鉄樽見線誘致のため 村内外の有力者と相提携し猛運動を展開 漸く大正十一年四月大垣 樽見間が鉄道敷設法により 敷設予定鉄道路線に認定され今日の開通の基礎を築く これらの公益事業のため全私財を投入貧苦に喘ぎながらも 根尾村を こよなく愛し 発展を念願し続けた氏は昭和十八年十月七十二歳で生涯をこの地で終えた ここに氏の偉業を永く後世に伝えるため 生前の面影を像に残して顕彰する
   昭和六十三年十一月吉日  宮脇留之助翁顕彰像建立委員会

 戻る

inserted by FC2 system