碓日嶺銕道碑(復元) |
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碑の背景 コメント |
碓日嶺銕道碑は1893年4月に、アブト式により横川−軽井沢間が開通した際、記念として軽井沢駅前に建立されたものである。 この碑には横川−軽井沢間の経路選定の経緯や工事内容などが書かれている。 しかしながら、1923年に発生した関東大震災により碑は倒壊し、大きく三つに割れてしまった。 現在の碑は全国からの寄付金により当初の碑を復元したもので、1940年3月に再建された。 当初の碑は倒壊後修復され、旧熊ノ平駅構内にある。 1893年4月に横川−軽井沢間が開通したが、これにより東京と直江津の間が鉄道で結ばれる事となった。 ちなみに開通時の列車本数は旅客4本、貨物5本の9往復であり、所要時間は横川→軽井沢間78分、軽井沢→横川間80分であった。 開通当時は蒸気機関車により峠を上下していたが、1912年には電化され、電気機関車による営業となった。 しかしながら、アブト式鉄道が信越線のネックとなっていた為、粘着式により新線が横川―軽井沢間に敷設され1963年7月にアブト式の旧線は廃止された。 粘着方式で碓氷峠を克服し、輸送力も増強したが、北陸新幹線の長野開業を翌日に控えた1997年9月末日、横川−軽井沢間は廃止をされた。 |
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写 真 基本情報 |
所 在 地 : 軽井沢町軽井沢東2 軽井沢駅 MapCode : 292 616 706*41 建 立 日 : 1940年 3月(復元) 建 立 者 : −−− 種 別 : 開通・開駅碑 撮 影 日 : 2011年 6月11日 |
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碑 文 | 碓日嶺鐡道碑 陸軍大将住二位勲一等伯爵山縣有朋篆額 碓日嶺聳峙乎信濃上野之界奧羽山脈蜿蜒延乎西南為全邦脊梁至信濃層疊回 |
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碑文 (裏面) |
碓日嶺鐡道碑ハ大正十二年九月関東大震 災イ難ヲ蒙リ倒壊シ草芽ノ間ニ埋伏セラ レシガ幸ヒ當初ノ石刷保存セラルルヲ知リ 之ヲ撮影シ略原形ヲ傳ヘテ茲ニ再建セリ 昭和十五年三月 |
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