大屋停車場碑
   
碑の背景
コメント
官設鉄道信越線は1888年12月に上田−軽井沢間が開通した。 この時に開業した駅は田中・小諸・御代田・軽井沢の各駅である。 この開通により横川−軽井沢間建設の為の資材運搬線が完成した。 1993年4月には横川−軽井沢間が完成し、北信地方と東京が鉄道で結ばれた。 これが開通した事により、当時、日本の主要輸出品であった生糸を横浜に輸送するための経路が完成した。 北信地方で生産される生糸を輸送するために駅設置の請願が出され、横川−軽井沢間が開通した3年後の1896年1月に大屋駅は地元請願駅として開業した。 

写  真
基本情報


所 在 地 : 上田市大字大屋上
         大屋駅前
MapCode : 85695899*63
建 立 日 : 1900年10月
建 立 者 : −−−
種   別  : 開通・開駅碑碑
撮 影 日 : 2008年 6月24日



碑  文     大屋停車場在信之小縣郡田中上田間信越鐡道停車場■一也以其■北國街道■■■■
    為一驛■信越鐡道創設大屋與田中上田皆定為線路所経而大屋■■■■■■■■■■
    人私相議日當世之■在長國利長國利在殖物産殖物産在廣民業廣民■■■■■■■■
    ■■生絲湯■■者出口要品民之業之者最多當益廣其業而所苦■■■■■■■■■■
    鐡道■貫信中島恵誠大矣■■思之鐡道之要在置停車場苟■■■■■■■■■■■■
    ■有所■夫大屋四通要■■近往来之所由焉南北諏訪伊那松本■■■■■■■■■■
    上田赴東西者必出此地然後各向所指則其£u停車場固無■■而不■■■■■■■■
    耳莫若相興具状請之設置焉官幸納之為増■一停車場使往来者■■■■■■■■■■
    物貨之運輸■加捷速而其於廣養蠶製絲之業所資本大豈止本土■■■■■■■■■■
    如■■■■者■三千餘人縣會開而善之亦為言於内務省■■■■■■■■■■■■■
    屋之便己而鐡■■■■員於大屋視察地勢遂起工築停車場■■■■■■■■■■■■
    年四月二十一日也諸郡人士感喜殊甚當事者以為宣有金石之刻■■■■■■■■■■
    預其事今得■告威亦■之所欣喜也■敍始末係之以詞詞曰                  
      維信之土山嶽■■鐡路直貫列車■馳地曰大屋乗降攸$V命■■■■■■■■■■
      ■是賞■■多■勿虚福基勤而井怠庶大滋矧彼名産蠶■生絲               
    明治三十三年十月    従三位勲二等浅田徳則撰文   吉田■■書           
    
平成16年2月丸子町議会臨時会 議事録の一部
 それから大屋駅の問題、これは、昔は大屋停車場といったんですが、明治29年ですか、この丸子の下村亀三郎さんという方が努力されて、上田駅と田中駅 の中間に大屋停車場をつくるということで3,000人の依田窪から岡谷、諏訪まで歩いて署名を集めて、700人の方々から寄附をいただいて、それを国鉄に 請願して大屋停車場というものができたわけでございます。
 何でこの大屋停車場をつくったかということになるんですが、金子金平さんは依田社の代表も務めたわけですが、依田社というのは生糸ですね。その時分、 依田社の生糸というのは世界に通用する生糸であったわけです。その生糸を関東の横浜まで持っていくのに不便だということで大屋停車場をつくりまして、そこ から関東方面に物流をよくするためにやったというのが、大屋停車場の前の碑に残っております。

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