中央東西線鉄路接続点 |
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碑の背景 コメント |
中央線は東京駅から塩尻を経由して名古屋駅までの424.6kmの路線である。 東京(新宿)と名古屋を結ぶ列車はなく、東京方からの列車は中央東線と呼ばれ松本まで、名古屋からの列車は中央西線と呼ばれ長野までとなっている。 中央東線は1889年に甲武鉄道により新宿−立川間が開業し以後、甲武鉄道と官営鉄道により塩尻まで開業したのは1906年であった。 中央西線側は1900年に名古屋−多治見間が、1908年には坂下まで開業した。 1909年になると塩尻方からの工事も進み塩尻−奈良井・坂下−須原間が開業、1910年には奈良井−宮ノ越間、須原−木曽福島間が開業し残るは宮ノ越−木曽福島間8.37kmとなった。 この区間も1911年5月1日に開通し中央線は全通した。 |
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写 真 基本情報 |
所 在 地 : 木曽町日義 原野〜宮ノ越間 MapCode : 420465113*61 建 立 日 : 1910年11月 建 立 者 : 手沢光雄 他有志 種 別 : 達成碑 撮 影 日 : 2008年 5月14日 |
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記念碑 説明板より |
「中央東西線鉄路接続点」記念碑 中央線の敷設工事は、東は東京、西は名古屋を起点として進められ、明治四十三年(1910)この地点において接続した。 それを記念して建てられたのがこの碑である。 鉄道敷設工事を担当したのは、鉄道院名古屋建設事務所(加藤勇所長)であった。 |
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