風張山大崩落事故記念碑
   
碑の背景
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 白馬村の親海湿原を源流とする姫川は静岡糸魚川構造線に沿って糸魚川に向かって流れている。 この川の流域は脆弱な蛇紋岩が広く分布しており、地すべり地形が広く分布しており、山崩れの事例が多数発生している。
 1939年4月4日に千国駅〜白馬大池駅間の右岸にある風張山が崩落した。 この崩落により、姫川がせき止められ、姫川の左岸にある大糸線も350mが埋没した。 この時に崩壊した土量は300万立法メートルで、これによりダム湖が形成された。 このダム湖により坪ノ沢地区迄湛水し減水するまでに6ヶ月を要した。
 1935年信濃森上〜中土間12.5kmが開通した大糸南線はこの崩落事故により信濃森上〜南小谷間が不通になった。 1939年8月7日からは1935年に延長された信濃森上〜中土間の一般運輸営業を停止した。 1940年10月28日に復旧工事が完了し、11月1日より信濃森上〜中土間の一般運輸営業を再開した。
 この碑は崩落が発生した風張山の対岸を走る大糸線の線路脇に建立されている。 この碑を写すために、現地に数回、出向いて探したが見つからず小谷村に問合せて教えて頂いた。 
  
写  真
基本情報


所 在 地 : 小谷村千国親沢
MapCode : 535317024*30
建 立 日 : 1940年10月
建 立 者 : −−−
種   別  : 災害碑
撮 影 日 : 2016年 9月10日


碑  文 記 念 碑
姫川沿域古来ヨリ地辷リ頗也昭和十四 
年四月二十一日風張山大崩ス崩落土砂
無慮六百五十萬立方米河水ノ堰ル将ニ
廿有餘時間宛然湖ヲ作テ鐡道ヲ没ス幸 
又畜ニ死傷無シト雖急遽復舊本部ヲ設 
テ策ヲ樹ツ則チ應急工事ニ次ギ本格ノ 
復舊工事ヲ始ム時ニ昭和十四年十月二
十五日也復舊線路總延長千七百米餘工
費又三十二萬圓ヲ超エ今年十月二十八
日ヲ以テ約一歳ノ難工ヲ完成ス茲ニ工 
成ルヲ記念シテ此ノ碑ヲ建ツル也    
  昭和十三年十月            
  長野保線事務所長          
    従六位 川又久夫書       

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