秋山君之碑
碑の背景
コメント
 この碑を建立した鰍沢馬車鉄道は浅原橋東側から鰍沢河岸を結ぶために1899年に設立され、軌間666mmで1901年6月1日に営業を開始した。 碑に名前のある秋山宗蔵が車掌と馭者の監督のために乗車していた車両が馬の暴走により転覆したことにより亡くなったのは開業から3週間目の事であった。 
写  真

基本情報
 所  在  地 : 南巨摩郡増穂町青柳3
            昌福寺境内
 マップコード : 312791543*45
 建  立  日 : 1901年9月
 建  立  者 : 鰍沢馬車鉄道株式会社
 種      別 : 慰霊碑
 撮  影  日 : 2007年 7月27日
 
碑  文     秋山宗蔵君墓碑銘
余友秋山政蔵君配中龍氏生君青柳邑君通■宗蔵天資豪放不拘
々乎小節睿敏果決裁斷如流尤鴛~理讀書好謀■坐一室幾廃寝
食者敷而其方興来氣王也善飲善談有干金一擲之概焉議論風生
常屈坐人而止甞學慶應義塾得病西遊入同志者苦學三年業常抜
等輩再學慶應義塾為福澤翁所愛日夕追随所得不尠學成歸郷能
服家事甞興行餘會者唱道所謂独立自尊之義皷舞子弟子弟風習
為之一變頗有可観云及鰍澤馬車鐡道之議起久而不決君助諸先
輩桔据經營終始不惓業成内外幹事處理得宜業務粗就緒君時車
上督車掌馭者而馳馬驚車?不幸傷胸而没實明治三十四年六月
十六日也君甞謂余曰馬車鐡道之事非余素志他日跋渉禹域視風
土察人情誘導啓發干商干工欲以大有施設焉鳴呼君年少二十有
六以其有爲之身中道齎志而逝豈不惜乎哉以余與君甲子異不能
同學窓然平生交誼不可以不文辭乃爲作銘曰           
  載脂載駕 將何之之 匪往匪復 爲乃攸司 底事?忽
  舎我而馳 西山之下 富水之? 懐君不見 風物悽其
      明治三十四年九月  新津眞撰文
                鰍澤馬車鐡道株式会社建焉


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