射山先生景仰碑
  
碑の背景
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小川平吉は1870年1月に富士見町で誕生した。 1903年衆議院選挙で初当選し、政友會に入った。 1927年には田中義一内閣で鉄道大臣に就任した。 鉄道大臣在任中には全国の駅名標を全て右書きに改めるとともに添え書きされていたローマ字については削除させた。 また、鉄道大臣に在任していた2年間に交付した鉄道敷設免許は100以上の多数にわたり、それらの大半は実現せず免許が失効している。 小淵沢と小諸を結ぶ小海線の内、小淵沢ー清里間は1933年に開業したが、小淵沢と甲斐小泉の間には半円形の大きなカーブがあり、進行方向が180度変わる。 小海線の南側(小海―小淵沢間)が計画された当時の鉄道大臣が小川平吉でその出身地が富士見町であったことから、富士見駅を起点とする予定であったが、工事費などの点から小淵沢が起点と改められた。 この碑も小淵沢駅の裏側に設けられた。  1942年2月に死去。

写  真
基本情報


所 在 地 : 北杜市小淵沢町尾根
         小淵沢駅裏
MapCode : 218113284*77
建 立 日 : 1941年10月
建 立 者 : −−−
種   別  : 顕彰碑
撮 影 日 : 2004年 8月 9日
碑  文   射山先生景仰碑                   
  射山小川先生平吉今代國士之錚錚者政界※歴  ※:門構えに元        
  之高與經世勲業之燦衆所共瞻仰也先生曽為鐡                     
  道大臣張皇全國交通施設※多中央線之電化及  ※:基の土の部分を糸に    
  小海線之開通亦於厥時成矣※經帝都而往来甲  ※:凡の中の点を外し、上につける
  信之境者無不?其利澤焉聞兩者極難工惟先生                    
  之深籌與健志終能麾使阿香以推雷車招徠山鬼                    
  而為道祖可謂下親子産済塗人之小惠而追蹤大                    
  禹遠險阻之神功者今茲正丁中央線電化第十周                   
  年甲信有志相圖立碑欲永傳後昆記其鴻績蓋先                   
  生之清風與善懐暗孚民心也久矣此擧豈徳為一                    
  地方鐡路而巳云乎哉銘曰                         
     義路通穿   濟功兩全                        
     斯氓記小   鑒大惟天                           
  昭和十六辛巳年十月  武蔵  高田■■■                 
              甲斐  名取忠■■                  


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