大桐駅跡
碑の背景
コメント
北陸本線は1896年7月に敦賀−福井間が単線で開業した。 この時に敦賀−今庄間に設置された駅は杉津駅だけであった。 列車の増加により輸送力増強の為に交換設備が必要となり、1908年に敦賀・杉津間に東郷信号所、杉津・今庄間に大桐信号所が開設された。 大桐信号所は下記の経歴にもある様に、信号所になって3カ月で旅客・貨物の営業を開始している。 

写  真
基本情報


所 在 地 : 南越前町 
MapCode : 200049123*65
建 立 日 : −−−
建 立 者 : −−−
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2009年 8月22日


碑  文   大桐駅の経歴
明治41年3月1日 北陸線の難所といわれ、山中トンネルを頂点とした25/1000の勾配を有し、列車運転の緩和とスイッチバックの拠点として大桐信号所が開設された。
その後地元の要望に応え同年6月1日停車場に昇格し、旅客、貨物の取扱営業を開始した。
当時、旅客7本、貨物6本、計13往復の列車が運行された。 昭和37年6月9日、北陸本線複線電化の近代化により、新線開業と共に廃止となる。
その間54年の永きに渡り、生活物資の輸送等、住民のシンボルとして大きな役割を果たした。

 戻る

inserted by FC2 system