北陸トンネル列車火災事故慰霊碑
碑の背景
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急行きたぐにはEF70に牽引され10系客車15両編成で青森を目指していた。 敦賀駅を発車後、11号車(オシ172018)より火災が発生し客から通報を受けた車掌は機関士に連絡、敦賀口から5.3km地点で停車し消火作業を始めたが火勢が強く消火不能と判断し、車両切り離し作業にかかった。 しかしながら、約1時間後には火災の熱によって発生した停電により列車は現場に釘付けとなってしまった。 この火災により発生した煙と有毒ガスにより30名の方が亡くなり、714名が負傷した。 
この火災の原因は当初、食堂車の石炭レンジとのことで翌日から全国のオシ17が使用停止となったが、最終的にはオシ17の喫煙室長椅子下にある電気暖房装置のショートによるものとされた。 
この火災事故までは異常時はただちに停車することと定められていたが、この後、トンネル内・橋梁上・高架橋上等で異常が発生した場合には停車しない様に改められた。 また、地下鉄や長大トンネルを走行する車両の難燃化・不燃化基準が改訂され車両の防火対策が進められた。
急行きたぐにの火災事故が発生した3年前の1969年12月6日青森発大阪行信台特急日本海が北陸トンネルを通過中に、機関車の次に連結されていた電源車から出火した。 機関士はトンネル内での停車は危険と判断し、運転規則に逆らってトンネルを脱出後に停車し、消防の応援を得て消火を行った。 この火災事故では電源車だけの車両焼損で犠牲者・負傷者は発生しなかった。 この火災事故に対して乗務員の執った行動を、国鉄は運転規則の改訂に反映させず、運転規則違反として乗務員を処分した。 この火災事故の際に運転規則の改訂が行われていたら急行きたぐには今庄側に脱出後に停車し消火作業が行われたものと考えられる。 なお、特急日本海の乗務員に対する運転規則違反の処分は急行きたぐにの火災事故後に行われた運転規則改訂後に撤回された。
   
写  真
基本情報


所 在 地 : 敦賀市川北
         トンネル敦賀口
MapCode : 192822841*24
建 立 日 : 2007年3月
建 立 者 : 西日本旅客鉄道株式会社
         金沢支社
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2009年 8月22日


碑  文   北陸トンネル列車火災事故
昭和四十七年十一月六日午前一時過ぎ 敦賀駅を発車し北陸トンネルにさし かかった下り急行きたぐに号から出火した列車火災は三十柱の方々の 尊い生命を奪うに至りました。
以来 この地に慰霊碑を建て 物故者の霊をお祀りしてまいりましたが 月日の流れに伴う損傷も著しいため 新たに改建するにいたりました
改めてお亡くなりになられた方々の 御冥福を念願いたします
   平成十九年三月  西日本旅客鉄道株式会社 金沢支社

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