野々市駅前の碑
碑の背景
コメント
この碑がある野々市駅は野々市市二日市3丁目の西日本旅客鉄道北陸本線の駅である。 
野々市市近辺での野々市駅を誕生順に辿ると、1912年に北陸本線の現在地より2.4km金沢寄りに開業した野々市駅が最初である。 この北陸線の駅は1925年西金沢と改称された。 北陸本線の野々市駅が西金沢駅に改称された翌年(1926年)、それまで上野々市駅と称していた金沢電気軌道(現在の北陸鉄道)の駅名が野々市駅と改称された。 その後、1968年に現在の北陸本線の松任ー西金沢間にこの碑がある野々市駅が旅客駅として開業した。  この駅は請願駅であったので、駅の建設に要した総工費4500万円は地元が負担する事となり、3000万円が町費で、1500万円が地元負担金となった。
     
写  真
基本情報


所 在 地 : 野々市市二日市3丁目
        野々市駅南口
MapCode : 41 432 544*56
建 立 日 : 1969年 7月
建 立 者 : 野々市駅協力会
        旧称野々市駅誘致期成同盟会
        野々市簡易保険友之会
種   別  : 開通・開駅碑
撮 影 日 : 2019年 8月19日


碑  文 そもそも国鉄野々市駅は地域住民と金沢鉄道管理局並に血盟の同志拾参名の友愛と信義と忍苦と団結とそして風雪拾年の苦節によって打ち樹てられた偉業である。    併し乍ら、地域住民の、誘致への犠牲と情熱も、管理局の温かき助言と指導も、稍もすれば、偉業の陰に埋没せんことを惧る。  即ち 用地、道路敷の提供、並びに、墓地移転、更には数千万円に及ぶ財政負担等の業績は後世、高く評価されんことを希う、 憶うに、今を遠く北陸線創業の古へ、我らの祖先がその敷設に反対して、用地の提供を拒むなどの抵抗を示したと伝え聞くが、新旧思想の激突は昔も今も変わらず、洵にさけ難き断層と解すべきか!  さもあらばあれ!産業これによって興り新文化ここに発祥して名実大金沢の関門たらんを念じつつ、後昆のため敢えて由来と、その意義を伝う希わくは後昆我らの微意を■み是れを継承されんことを!!
          昭和四十四年七月佳日
               野々市駅協力会
               旧称野々市駅誘致期成同盟会
               野々市簡易保険友之会

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