七尾鉄道発祥の地
碑の背景
コメント
  1897年七尾港が貿易港としての指定を受けたが、この指定を継続するには一定量の輸出継続が必要であった。 この為、金沢方面からの貨物を七尾港に集めることを目的として地元の船主などが資本を出し合って七尾鉄道を設立し、1898年4月に津幡仮から七尾港(矢田新駅)まで開業させ、1900年には津幡まで延長し官設鉄道とも接続した。 1907年に国有化され1909年に七尾線となった。 1929年七尾−七尾港間の旅客営業が終了し、この区間は貨物支線として残されたが、1984年津幡−穴水間の貨物営業が終了し、この支線も廃止となった。 これにより、七尾鉄道発祥の地である七尾港駅からレールが外された。

写  真
基本情報


所 在 地 : 七尾市矢田新町
         七尾港駅跡
MapCode : 135777410*52
建 立 日 : 1998年 4月24日
建 立 者 : 七尾線開業百周年
             実行委員会
       七尾鉄道OB会七尾支部
       JR西日本七尾鉄道部
種   別  : 発祥碑
撮 影 日 : 2009年 8月23日
碑  文     七尾鉄道発祥の地
 現在のJR七尾線の前身である、「七尾鉄道株式会社線」は、今から丁度100年前の、明治31年4月24日、ここ「矢田新駅」から津幡駅(現在の本津幡駅)に向けて発車しました。
 この矢田新駅(大正6年七尾港に改称)は、明治31年、開駅当時は貨物扱いのみの駅でしたが、明治37年「七尾港」も整備され奥能登各地区からの舟便連絡のための旅客扱いも行うようになり、翌明治38年4月からは全列車が金沢への直通運転を開始しました。
 その後、昭和4年12月七尾線が能登中島駅まで延伸され水陸連絡の必要性が無くなるまでの間、文字通り能登地区の玄関口としての役割を果たし、そしてその後も当地域の貨物輸送の拠点として日夜賑ってきました。
 しかしながら、近年の貨物輸送体制の変化に伴い、ついに昭和51年1月その使命も終え「86年」の長い歴史に幕を閉じました。
 平成10年4月24日「七尾線開業100周年」にあたり、この矢田新駅の歴史的事実を「七尾市」をはじめ「日本鉄道OB会七尾支部の皆さん」及び「同宇野気、横山。高松地区の皆さん」更に七尾線にゆかりのあるJR西日本の社員の皆さん並びに「七尾線沿線のJR関係会社のみなさん」等多くの方々のご協力を得まして、ここに「七尾鉄道発祥の地」として記します。
 なお、明治31年七尾線開業当時の「七尾駅」は現在の本府中町にあり、現在の地には、大正14年12月和倉駅まで延伸された時移転し、その後昭和33年に改築され現在に至っています。
      平成10年4月24日   七尾線開業100周年実行委員会
                   七尾鉄道OB会七尾支部
                   JR西日本七尾鉄道部

   C56−123蒸気機関車動輪
 この動輪の蒸気機関車は、昭和18年3月、三菱重工業神戸造船所で製造され一時期九州に渡っていましたが、昭和16年12月七尾機関区配属となり以来昭和48年まで32年間の永きにわたり、能登の大動脈である七尾線を力強く走り続けました。 この間に走った距離は178万キロに達し、これは地球を45周したことになります。
 このC56型蒸気機関車は、客貨両用機で旧国鉄唯一の軽量テンダー機関車であり、力は560馬力と非力ながら形が独特で姿勢がいいことから、全国のSLファンから「ポニー」の愛称で親しまれてきました。
 昭和48年7月、その役目をディーゼル機関車に委ねて、その後は■■■公園に静態保存され、平成3年には希望の丘公園に移されましたが、その間多くの子供たちに可愛がられ静かな余生を送ってきました。
 しかしながら、長年の風雨によって車体の損傷も著しく解体のやむなきに至り平成10年4月「七尾線開業100周年」の節目に、その「動輪とナンバープレート」を「七尾鉄道発祥の地」である、ここ「矢田新駅跡」に永久保存します。
       平成10年4月24日    七尾市

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