耆宿津島吉六翁追慕碑
碑の背景
コメント
1852年小矢部市津沢で生まれた津島吉六は地元で酒造業を営んでいた。 中越鉄道が1897年高岡−福野間を開業したが、津沢吉六はこの鉄道の発起人の一人として福野−栃波間については津沢を通過させるべく努力した。 しかしながら小矢部川水運で発展した津沢の人達には受け入れられず、現行の城端線の経路となった。 この為、津沢吉六は庄川で活躍した木材業者平野増吉らと北陸本線石動−中越鉄道福野−青島村を結ぶ栃波鉄道を計画し1912年に免許を取得した。 津島吉六は栃波鉄道の社長として建設にあたり、青島−福野間から建設を開始したが、途中資金難により福野までで工事を止める事も検討された。 この鉄道は1918年に金沢−福野間の鉄道建設を目論んでいた金福鉄道を合併し加越能鉄道と改称し、1922年に石動まで開通を見た。 全通後は庄川流域の木材・栃波平野の農産物・庄川のダム開発資材等の運搬により経営は安定をした。 津島吉六は加越能鉄道の経営安定を見届け、1930年に78歳で逝去したが、碑に刻まれた短歌を読むと栃波鉄道の建設にあたって、多くの借金をし、その返済に苦労した様子がうかがわれる。

写  真

基本情報
 所  在  地 : 小矢部市津沢
            旧津沢駅跡
 マップコード : 122438505*51
 建  立  日 : −−−
 建  立  者 : −−−
 種      別 : 顕彰碑
 撮  影  日 : 2009年 8月23日
碑  文 鉄債鬼志ばし凌いで来てみれば 粟津の秋は酒友もなし  水雪

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