富山停車場跡
碑の背景
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富山県内の官設鉄道(現北陸本線)は金沢方より伸延してきた線路が1898年4月に高岡まで開業し、翌年の1899年3月に富山まで開業した。 しかしながら、当時の富山は神通川が市街地を横切って流れており、この河川の改修計画が有ったために、官設鉄道では、現富山駅の手前約400mの地点である田刈屋地区に仮駅を設置した。 この駅は約10年間使用され、1908年11月に呉羽−富山間のルート変更と共に駅も現在地へと移転した。 

写  真

基本情報
 所  在  地 : 富山市田刈屋
            田刈屋地下道北側
 マップコード : 40444551*83
 建  立  日 : −−−
 建  立  者 : −−−
 種      別 : 跡地碑
 撮  影  日 : 2009年 8月24日
副碑文面   富山停車場(初代富山駅)跡
明治32年(1899)3月20日、官設北陸線(北陸本線)は当時の婦負郡桜谷村まで開通しました。 高岡より延びてきた路線は、現在の経路とは異なり、呉羽トンネル手前から呉羽山を北に迂回していました。 そして富山市にとって最初の停車場は、現在の気象台の付近から田刈屋地下道の辺り、田刈屋から駒見にまたがる敷地に設けられました。 当時市街地を蛇行していた神通川に、駆越線(現在の河道)を開削する改修計画があったことや、富山本駅の設置場所が未決定であったことなどから、工事箇所手前のこの地が選ばれました。 田園地帯であった周辺地域も、開業後には駅前に宿屋や割烹料理店、運送問屋などが軒を並べ、富山市の玄関口として大いに賑わいました。
明治41年11月、北陸線の魚津延長に伴って、神通川に鉄橋が架かり、停車場は現在地に移りました。跡地の一部は軍(工兵隊)の練習廠舎に、後に富山市立工業高等学校(元県立富山工業高等学校)に利用されました。昭和21年、市営住宅が建設され、現在では住宅地となっています。

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