上越北線直轄工事殉職碑
  
碑の背景
コメント
上越線は東京と新潟を結ぶ線として計画され1920年に北側の宮内−東小千谷が、翌年には南側の新前橋−渋川間が開業した。 これ以降北と南から逐次線路を伸延させ、1925年には北側が越後湯沢迄が、1928年には南側の水上までが開業し、残るは水上−越後湯沢間のみとなった。 この区間には谷川岳などの山があるため、トンネルを掘削する必要があった。 トンネルの掘削工事は1922年に着工し、10年弱の歳月で貫通をみた。 トンネル延長は9702mであるが、出来るだけトンネル区間の距離を短くするために清水トンネルの前後にはループ線が設けられ、出来るだけ高い位置でのトンネル掘削が行われている。 清水トンネルの開通は1931年9月1日であるが、これにより東京から新潟までの線路が結ばれ、宮内−越後湯沢間の上越北線、新前橋−水上間の上越南線を含め上越線となった。
土合駅には上越南線直轄工事記念碑が、湯檜曽には上越南線殉死者供養塔がある。
  
写  真
基本情報


所 在 地 : 南魚沼郡湯沢町土樽
         清水トンネル出口
MapCode : 554734247*82
建 立 日 : 1931年8月
建 立 者 : 鉄道省長岡建設事務所
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2011年 7月10日



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