奥山君頌徳碑
  
碑の背景
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1920年代の後半頃から中ノ口川沿いに鉄道を建設する話が持ち上がり、新潟水力電気の奥山亀蔵をはじめとする新潟、西蒲の財界人により、鉄道を建設するために中ノ口電気鉄道株式会社の設立が進み、1929年6月に会社創立総会が行われた。 この総会で資本金150万円の中ノ口電気鉄道が奥山亀蔵を専務取締役に迎えて誕生した。 この会社は翌1930年に新潟電気鉄道と改称し、1931年4月東関屋−白根間の営業を開始し、同年8月には白山前(県庁前)−燕間36.1kmが全通した。 奥山亀蔵は新潟電鉄と改称後も専務取締役として経営にあたっていたが、1941年に65歳で亡くなられた。 
現在、新潟県内の足としてバス事業を行っている新潟交通(株)は1943年に新潟電鉄(株)と新潟合同自動車(株)が合併して設立されたが、その新潟交通の社史には「奥山さんは豪放、緻密、細心、粘り強い、 性格的に非常に豊かなお方でした」との記載が残されている。 なお、新潟交通となった鉄道線は1992年から路線の縮小が始まり1999年には最後まで残された東関屋−月潟間も廃止となり、鉄道の営業は終了した。

写  真
基本情報


所 在 地 : 新潟市南区月潟
        月潟駅跡
MapCode : 32210092*81
建 立 日 : 1950年11月
建 立 者 : 沿線町村長一同
種   別  : 顕彰碑
撮 影 日 : 2009年 7月18日


碑  文 奥山亀蔵氏は山形縣東川田郡大和村に生まれ東京帝大土木工學科を卒 業直に新潟縣廰に奉職土木行政に多大の業績を残し官界十五年にして更に民間に身を轉し水力開発竝に電鐡事業に獻身せられた  抑る殼倉蒲原平野の中心を流れる中の口川流域は交通が水運以外恵まれす産業文化の発達遅々たる實情を視て氏は昭和四年新潟電気鐡道株式會社を創設し経済界の不況にも屈せす寝食を忘れ萬難を排し電鐡線敷設事業を起し遂に昭和八年八月十五日縣廰前燕間三五粁八分の電車線を竣功■來沿線道の教育文化は頓みに開け産業は興隆し為に沿道は氏の恩惠に據る處計り知られさるものかあつた  氏は資性剛毅果断正義を愛し恩義を忘れず仁徳を施こし又瞬時も國家を忘れす崇高な人格と徳望は衆議院議員として三度白亜の殿堂に送られた  歳月は流水の如し氏逝いて既に十年茲に沿道の町村長相倚り氏の頌徳碑を建立し偉大な先覚者としての氏を回顧敬慕し不滅の偉業を永えに讃えんとするものてある   昭和二十五年十一月



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