歓天喜地
碑の背景
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白新線は新潟〜新発田間の鉄道で、1952年に葛塚〜新発田間が開業して、路線としての歩みを始めた。 その4年後の1956年には沼垂〜葛塚間が開業して全線開通し、新潟〜新発田間の営業が始まったが、路線名の1文字目である「白」を持つ駅まで白新線の車両が行く事は無かった。。 
鉄道路線の名称は一般に、路線に並行する街道の名称を付ける、起点・終点・経由地の駅名やかつての行政区分名広域地名などを付ける、路線の性格から付ける等の方法がある。
白新線は当初計画では新潟市の白山と新発田を結ぶ路線として計画されていたが、白山〜新潟間は越後線の一部となり、白新線が白山迄乗り入れることはなかった。 当初計画では起点・終点から1文字ずつ取っているので、新潟〜新発田間となると新新線、両新線などの名称となるところが、計画時の名称のままとなっている。 
写  真
  
基本情報
 所  在  地 : 新潟市北区白新町1丁目
            豊栄駅前
 マップコード : 32 896 847*84
 建  立  日 : 1952年12月23日
 建立発起人 : 吉田光一
 種      別 : 開通・開駅碑
 撮  影  日 : 2014年10月23日

碑  文 昭和二十七年十二月二十三日
白新線開通記念 吉田光一    
          石匠齊藤義雄
  
 横の解説    歓天喜地(かんてんきち)
 この碑は、白新線の開通を記念し、その実現に先代から尽力した葛塚の吉田光一(1903〜1976)が建立しました。
 [新潟〜新発田間に鉄道を」という声が上がったのは1897年(明治30年)でした。 それから半世紀以上たった1952年(昭和27年)12月23日に葛塚〜新発田間が開通し、葛塚駅が開業しました。 待望の開通を祝い、町民は提灯行列を行い、商店街ではすずらん型街灯を設置しました。
 吉田は「天に歓び、地に喜ぶ それ以外に表現の言葉なし」と感激の心を表し、自身が経営す印房の名称も[白新堂」と改称しました。 碑の表面の「歓天喜地」は、書家相沢春洋(1896〜1963)揮毫、裏面は吉田が書いています。
 葛塚町・木崎村・岡方村が合併し、豊栄町が誕生した翌年の1956年(昭和31年)4月15日には、白山〜葛塚間も開通し、白新線は全線開通しました。 駅前には「白新町」などの住宅地が開発され、白新線は、地域発展の原動力となりました。
 1976年(昭和51年)に葛塚駅は豊栄駅と改称されました。 2006年(平成18年)3月には駅の南北をつなぐ自由通路が設けられた駅舎が完成し、今日にいたっています。
    平成22年 1月    新潟市北区郷土博物館

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