親不知殉難碑
  
碑の背景
コメント
1921年末から裏日本は豪雪に見舞われ、翌年の2月3日には市振−親不知間で発生した雪崩により、北陸本線は不通となった。 このため、糸魚川近辺の部落から多くの作業員が集められ、除雪にあたったが、除雪作業時には雨となっていた。 除雪作業は夜になって中止し、作業員は糸魚川方面に戻る列車に乗車して出発した。 この列車が親不知−青海間の勝山トンネルにさしかかった時、雪崩が発生し列車を直撃した。 これにより客車2両が脱線・大破し除雪作業員88名、鉄道職員1名、乗客1名が亡くなった。 この事故により除雪作業員を出した糸魚川周辺の部落からは多数の犠牲者が出た。 この殉難事故に対する慰霊碑はこの碑がある大和川部落のほか、蓮台寺部落や事故現場等にも建立されている。 この碑の側面には大和川部落で亡くなった方22名の氏名・年齢が刻まれている。
一つの事故で多数の碑が建立されている事例は少なく、働き盛りの者を失ったこの地方の方々の無念さが表れていると感じた。 なお、事故現場である勝山トンネル近辺は国道に駐車スペースもなく現地慰霊碑を確認することは出来なかった。 

写  真
基本情報


所 在 地 : 糸魚川市大字大和川713
         国造神社境内
MapCode : 314467821*46
建 立 日 : −−−
建 立 者 : 1923年1月20日
種   別  : 慰霊碑
撮 影 日 : 2009年 8月24日



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