新飯田駅跡
  
碑の背景
コメント
 1933年4月に東関屋−白根間で開業した新潟電鉄は、同年8月には白根−燕間を開業させた。 灰方駅は燕まで延長された際に開業した。 1943年に社名が新潟交通となったが、1960年代に利用者数がピークを迎えた後は、新潟地震の被災、モータリゼーションの進展等により、利用客の減少が続き1993年8月に月潟−燕間が廃止され新飯田駅も廃止となった。 新飯田駅と同時に廃止された六分駅灰方駅にも碑はあるが、燕市内にある灰方駅跡の碑は石で造られていた。


写  真
基本情報


所 在 地 : 新潟市西蒲区潟浦新
MapCode : 190 087 466*33
建 立 日 : −−−
建 立 者 : −−−
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2011年 7月10日


碑  文  かつて、ここに新潟交通電鉄「新飯田駅」があった。 平成5年7月この電鉄は廃止となり、跡地を「緑水ふれあい公園」として整備した。

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