廣川学士之碑
碑の背景
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廣川廣四郎は1864年9月13日に三島郡飯塚村(現在の長岡市飯塚)で誕生した。 1982年に長岡学校を卒業して私立築地大学校に入学した。翌1983年には工部大学校(後の帝国大学工科大学→東京大学)から、工科大学大学院に進み鉄道事業の研究に邁進した。
1889年から2年間は九州鉄道の嘱託として研究成果を実地に応用を進めた。
1891年からは鉄道庁等で鉄道に関する諸般の調査、線路の監査踏破測量などで東奔西走の毎日であった。 さらに東京市街鉄道と東京駅設置計画などにも携わったが、日々の業務に忙殺されて体を壊し、1896年10月22日に33歳で亡くなった。
写  真
  
基本情報
 所  在  地 : 長岡市飯塚3259
            枡形城跡
 マップコード : 187 507 555*22
 建  立  日 : 明治30年
 建立発起人 : −−−
 種      別 : 顕彰碑
 撮  影  日 : 2014年10月23日

碑  文 従二位勲一等子爵野村靖篆額            廣川幸四郎誌  
廣川廣四郎ハ元治元年九月十三日ヲ以テ飯塚村ニ生ル明治二十□
七月工科大學ヲ卒業シテ工學士ノ稱號ヲ得尋テ鐡道事業ヲ研究□ 
□シ大學院ニ入リテ其業ヲ終フ九州鐡道會社技師東京市水道技□ 
ニ聘セラレ又逓信技師兼逓信省鐡道技師ニ任シ正七位ニ叙セラ□ 
間鐡道事業調査若クハ監査ニ因リ足蹟殆□海内ニ遍シ人□□□  
テ且廉直節儉ナルヲ稱ス明治二十九年一月二十二日病デ東京□  
是ヨリ先鐵道事業視察ノ為メ歐米行ヲ命セラル葢シ主□シテ東□  
街高架鐵道及中央停車場設計調査ニ係レリ未ダ發スルニ及ハス   
忽焉長逝セリ享年僅ニ三十三遺骨ヲ飯塚村明鏡寺ノ墓地ニ葬□  
故友相謀リ翌年此碑ヲ建ツト云     中静義達書           

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