東急電鐡発祥之地 |
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碑の背景 コメント |
東急電鉄は東横線・田園都市線・目黒線・東急多摩川線・大井町線・池上線・世田谷線・こどもの国線の各線で構成されている。 これらの線区の内で最初に開通したのは目黒蒲田電気鉄道によって1923年3月に開業した目黒線・東急多摩川線(旧目蒲線)の目黒−丸子(現沼部)間で、同年11月には丸子−蒲田間も開業し旧目蒲線となった。 目黒蒲田電気鉄道は1924年に武蔵電気鉄道を傘下に収めた。 目黒蒲田電気鉄道の傘下に入った武蔵電気鉄道は社名を東京横浜電気鉄道と変え、1925年から横浜への線路敷設工事を始め、1926年2月に丸子多摩川−神奈川間を開通させた。 1927年8月には渋谷−丸子多摩川間が開通し、1932年には桜木町まで延長された。 東京横浜電気鉄道は1939年10月に親会社である目黒蒲田電気鉄道に合併されたが、目黒蒲田電気鉄道は合併の半月後に社名を東京横浜電気鉄道と変更した。 1942年5月には京浜電気鉄道と小田急電鉄を合併して、社名を東京急行電鉄と変更した。 この碑は元々、日吉駅のそばにある東急記念公園に建立されていたものである。 |
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写 真 基本情報 |
所 在 地 : 川崎市中原区木月3−36 東急教習所 MapCode : 213168*14 建 立 日 : 1956年 1月 建 立 者 : 東急電鉄 種 別 : 発祥碑 撮 影 日 : 2008年 8月 7日 |
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碑 文 | 此の地は東京急行電鐡の前身たる旧東京横浜電鐡が鐡道建設の第一着手として日吉より新丸子に至る水田を埋立てるため大正十四年一月十日土取場として最初に買収した土地である 爾来東京横浜電鐡は幾多の苦難を経つつ総社員と株主の努力に依って昭和七年三月三十一日澁谷櫻木町間全線を開通すると共に発展に発展を重ねて今日の大東急を形成するに至った 茲に碑を建てこの地を東京急行電鐡発祥の地として永く記念するものである 昭和三十一年一月吉日 五島慶太撰 泉原全栄書 |
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記念碑解説 | 「東急電鉄発祥の地」記念碑 この「東急電鉄発祥の地」記念碑は、昭和31年1月に五島慶太会長発意のもと、東横線着工時の土取場跡(横浜市港北区日吉2丁目27番地)に、創業精神を社員に浸透させ、士気を鼓舞する意味から建立された。 その精神を受け継ぐとともに、更なる社業の繁栄を祈念し、平成十五年二月ここ東急教習所内に移設するものである。 平成十五年二月五日 東京急行電鉄株式会社 |
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