小田原馬車鉄道・電気鉄道前田橋跡
  
碑の背景
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1888年2月に小田原馬車鉄道が設立された。 1887年には東京からの鉄道が国府津まで開業していたことから、小田原馬車鉄道は1888年10月に国府津〜小田原〜箱根湯本間を開業させた。 この時の経路は小田原市内から早川左岸を遡っていたが、箱根湯本駅手前で40m程高度を稼がなければならないため、箱根新道山崎インターチェンジ付近で早川右岸に渡り、現在の富士屋ホテルの下で再度、早川を左岸に渡って終点である箱根湯本に向かっていた。 この落合橋は早川を右岸から左岸に渡る為に設けられた設けられたものである。 小田原馬車鉄道は1896年に小田原電気鉄道と改称するとともに、1900年には電化された。 1910年、早川の水害によりこの前田橋と上にあった落合橋は流出してしまった。 1913年に箱根湯本までの路線が再開されたが、その際の経路は早川左岸のみを通る、現在の箱根登山鉄道の路線となった。
  
写  真
基本情報


所 在 地 : 箱根町湯本
MapCode : 57 224 570*52
建 立 日 : −−−
建 立 者 : 箱根町
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2012年 2月17日


碑  文   小田原馬車鉄道・電気鉄道前田橋跡
 明治21年(1881)10月、国府津〜湯本間に開通した小田原馬車鉄道の前田橋跡です。
 馬車鉄道は、湯木山崎の台地が越え難いため、小田原の風祭から早川左岸の堤防沿いに走り、湯本山崎でここ前田橋を渡って、早川の右岸に出、上流の落合橋で再び早川を渡りました。
 この橋は、明治33年(1900)馬車鉄道から電気鉄道に代わっても使われましたが、明治43年(1910)8月の大洪水で、落合橋と共に流出し、大正2年(1913)に鉄道は現在とほぼ同じ山側を走る様になりました。

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