京浜急行電鉄株式会社 発祥之地
碑の背景
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京浜急行の前身は日本で3番目(関東では最初)の電気鉄道で、六郷橋から川崎大師まで開業した大師電気鉄道である。 大師電気鉄道は1898年2月に会社を設立し、1899年1月六郷橋−大師間2.0kmを開業させた。 大師電気鉄道は1899年には京浜電気鉄道と改名し品川から三浦半島方向への路線延長を行った。 1942年に小田急と共に東京横浜電鉄と合併して東京急行電鉄が発足した。 1948年に現路線が東急から分離独立して京浜急行となった。
この碑は大師電気鉄道開業時の終点である川崎大師駅前に建立されている。

写  真
 
基本情報
 所  在  地 : 川崎区大師駅前1
            川崎大師駅前
 マップコード : 102794*01
 建  立  日 : 1968年12月21日
 建  立  者 : 京浜急行株式会社
 種      別 : 発祥碑
 撮  影  日 : 2005年 2月 4日
碑  文 京浜急行電鉄株式会社は、明治三十一年二月二十五日大師電氣鐡道株式会社として設立され、翌明治三十二年一月二十一日、川崎六郷橋〜川崎大師間の営業を開始した。
開業時の資本金は九万八千円、営業線路は単線ニ粁、車両数は五両で開業当時の営業報告書には、次の通りに記されている。
 全般ノ機械運轉上成績好結果ニシテ一日モ運轉ヲ中止セシ事ナク即チ五月丗一日ニ至ル本期間ノ営業日数ハ一百三十一日ナリシ而シテ乗客ハ相應ニ多ク毎月廿一日ノ如キハ非常ニ雑踏ヲ極メシモ線路ノ単線ナリシト車輌ノ不足ナリシ為ニ充分ニ乗客ヲ運ビ能ハザリシ感アリ本期間平均一日一哩ノ乗車賃ハ五拾円九十銭ニ厘ニ相当セリ。 元来本社ハ関東ニ於クル電氣鐡道ノ嚆矢ニシテ成績ノ如何ハ将来電氣鐡道事業ノ発展ニ重大ナル関係ヲ有セシモノナリ
幸イニシテ今ヤ営業初期ニ於テ相應ナル純益配当ノ報告ヲナスヲ得又運轉開始以来一人ノ負傷者ヲ生ズルナク毎月廿一日ノ如キ数萬ノ老若群集シ往来織ルガ如キ場所ニ於テ乗客ヲ満載シ乍ラ一日貳百五六十回余ノ運轉ヲナシテ過チナカリシハ實ニ本社ノ幸福ニシテ亦以テ電氣鐡道ノ市街交通機関ニ適シ更ニ危害ノ虞レナキヲ表示スルヲ得タルモノナリ
 かくて好調裡に営業を開始した大師電鐡は同年四月京濱電気鐡道と改称昭和二十三年六月京浜急行電鉄となり逐次事業の拡張を図って今日の隆昌をみるに至った。
  ここに創業七十周年に当り
会社設立発起人代表立川勇次郎はじめ先人の遺徳を偲び大師電鐡発祥のこの地に本記念碑を建立する。
   昭和四十三年十二月二十一日
            京浜急行株式会社

カタカナ部分の文意 全ての機械運転は成績が良く、列車の運転を中止した日は一日も無く、(創業から)5月31日までの営業日数は131日であるが、乗客はそれなりに多く、毎月、21日(川崎大師の縁日の日)の如きは非常に混雑を極めているが、線路が単線であるだけでなく、車両も不足しているために、乗客を充分に運びきれて居ないような感じがする。 本期間の平均で一日一マイルあたりの乗車賃は5円90銭2厘に相当する。 そもそも本社は関東における電気鉄道の始めであり営業成績の結果は将来の電気鉄道事業の発展に重大な関係がある。
幸いにして営業初期においてそれなりの純益が得られ配当が出来ると報告が出来るようになった。 また、運転開始以来一人の負傷者も無く、毎月21日の様な数万もの老人・若者が集まり、道路は布を織る様に人が行き来しているような場所において乗客を満載して1日に250〜260回も列車を運転して事故が無いことは本社の幸福であり、また、電気鉄道が市街交通機関として適して居るばかりか、危害の怖れが無いことを広告することが出来る様になったことを意味している。


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