軽便鉄道 一色停留所跡
碑の背景
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湘南軌道は秦野産葉タバコの出荷を目的として1906年に台町−二宮間(9km)を湘南馬車鉄道として開業した。 利用者の増加に伴い、1913年には動力を馬から蒸気に転換し湘南軽便軌道と改称した。 1918年には経営難で一時休業したが湘南軌道として再開した。 1924年には台町から秦野まで1km延長した。 1927年に小田急が開通したことにより旅客は減少し、1933年には旅客営業を休止、1935年10月に全線の営業を休止し、1937年8月に廃止となった。

写  真
基本情報


所 在 地 : 二宮町一色1116
         カワサキ石材店横
MapCode : 57539792*33
建 立 日 : 2006年
建 立 者 : 秦野市・中井町・二宮町
       軽便鉄道歴史継承事業
           実行委員会
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2008年 5月21日


碑  文 馬車鉄道・軽便鉄道・湘南軌道の沿革
 通称「けいべん」は、明治39(1906)年に湘南馬車鉄道株式会社が吾妻村(現在二宮町二宮)〜井ノ口村(現在中井町井ノ口)〜秦野町(現在秦野市本町三丁目)間の道路9.6キロメートルに幅二尺五寸(76.2センチメートル)の軌道を敷設した馬車鉄道の運行が始まりとなっています。
 馬車鉄道は、一頭の馬が小さな客車、または貨車を引くものでしたが、大正2(1913)年には動力が馬から無煙炭燃料汽動車(蒸気機関)に代え、社名も湘南軽便鉄道株式会社とし、運転を開始しました。 当時の沿線は、わら葺屋根の民家がほとんどで火の粉の飛散を防ぐため、独自に開発したラッキョウ型煙突を付けた機関車が、客車や貨車を牽引していました。 
 二宮駅からの乗客は大山への参拝者が多く、シーズンになると駅は活気にあふれ、貨物ホームには葉たばこ、落花生、雑穀、肥料などがうず高く積まれていました。 特に二宮特産の落花生は、全国に名を知られていました。
 この付近には、一色駅があり、もう少し北側には待避線の施設が設けられていました。
 二宮には、このほか、湘南軌道株式会社本社の上屋が、今も当時の面影を残している二宮駅と、中里停留所がありました。
 その後、軽便鉄道は、大正7(1918)年には湘南軌道株式会社へ軌道特許が譲渡され、大正10(1921)年に秦野自動車株式会社が秦野〜二宮間の営業を開始、大正12(1923)年の関東大震災による軌道の損害、昭和2(1927)年の小田急開通などにより鉄道の経営が厳しくなり、昭和8(1933)年に旅客運輸を、昭和10(1935)年には軌道全線の営業を休止し、昭和12(1937)年に軌道運輸事業を廃止しています。
 明治、大正、昭和の時代を走り抜けた「けいべん」の歴史は100年の時を経て、今も人々の胸の中に行き続けています。 私たちは今、この地点に立ち、当時、勇姿に走っていた「けいべん」に思いを馳せ、後世に歴史を継承します。
    軽便鉄道100周年記念
    秦野市・中井町・二宮町 軽便鉄道歴史継承事業実行委員会  平成18(2006)年

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