玉電と吉沢
碑の背景
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二子玉川園から中耕地駅跡・砧線軌道跡と玉電の線路跡をたどって来ると、遊歩道の後吉沢橋交差点を越えると、野川に架かる橋がある。 この橋が吉沢橋で橋の中央付近にこの碑はある。 碑文にもあるように現在の吉沢橋は架橋されてから、間がなくペンキの跡も新しいものであった。

写  真
基本情報


所 在 地 : 世田谷区鎌田3−1
         吉沢橋
MapCode : 2719651*55
建 立 日 : 2007年03月
建 立 者 : −−−
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2008年 5月18日

碑  文 この橋は関東大震災後1924年(大正13年)玉電・砧線の開通に合わせて架けられた鐡道橋でした。砧線は、現在の二子玉川駅と砧本村を結ぶ約2.2kmの路面電車で、人々の通勤・通学手段としてだけではなく、関東大震災復興のため多摩川の砂利を都心方面へ運搬するため大きな貢献を果たしました。しかし、その後車社会の到来とともに路面電車は姿を消すこととなりました。廃止後は道路橋として世田谷区に移管され今日に至っています。この度、野川の河川改修に合わせて上流の吉澤橋と新吉澤橋を統合し、新しい吉澤橋に架け替えました。

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