あヽ上野駅
碑の背景
コメント
上野駅広小路口を出ると、中央通りがガードを抜けた所に「ああ上野駅」の碑があり、レリーフでC6223と学生服を着た多数の少年が描かれている。 「ああ上野駅」は井沢八郎がヒットさせた歌であるが、ここで歌われている集団就職用の列車は1954年(昭和29年)4月5日15時33分青森発上野行臨時夜行列車として運行を始めた。 この集団就職列車はその後1975年(昭和50年)まで21年間にわたって運行された。
 
写  真
基本情報


所 在 地 : 台東区上野7丁目
        上野駅前
MapCode : 768013*25
建 立 日 : 2003年 7月 6日
建 立 者 : 歌碑設立委員会
種   別  : 歌碑
撮 影 日 : 2008年 9月18日


碑  文    歌碑の由来
 高度成長期の昭和30〜40年代、金の卵と呼ばれた若者達が地方から就職列車に乗って上野駅に降り立った。 戦後、日本経済第繁栄の原動力となったのがこの集団就職者といっても過言ではない。
親元を離れ、夢と不安を胸に抱きながら必死に生きていた少年、少女達。 彼らを支えた心の応援歌「あヽ上野駅」は、昭和39年に発表され多くの人々に感動と勇気を与え、以後も綿々と歌い継がれている。
この歌の心を末永く大切にしたいとの思いから、また、東京台東区の地域活性化・都市再開発プログラムの一環として、ゆかりの此の地に「あヽ上野駅」の歌碑を設立するものである。
  

                        あヽ上野駅
   作詞  関口義明         作曲  荒井英一       唄  井沢八郎
一.どこかに故郷の 香りを乗せて 入る列車の なつかしさ  上野は おいらの 心の駅だ
   くじけちゃならない 人生が   あの日ここから 始まった    
二.就職列車に ゆられて着いた  遠いあの夜を 思い出す 上野は おいらの 心の駅だ
   配達帰りの 自転車を      止めて聞いてる 国なまり
三.ホームの時計を見つめていたら 母の笑顔に なってきた 上野は おいらの 心の駅だ
   お店の仕事は 辛いけど     胸にゃでっかい 夢がある
 

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