玉南電氣鉄道記念之碑
碑の背景
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玉南電気鉄道は、1925年に軌間1067mmの鉄道として、既に新宿−府中間を開通させていた京王電気軌道(軌間1372mm)に接続する形で府中−東八王子間を開通させた。 これは京王電気軌道が政府から地方鉄道に対する補助金を目当てとした子会社を設立したことによる。 しかしながら、結果としては補助金は出ず、京王は1926年に玉南を合併したが府中の前後で軌間が異なり、列車は直通出来なかった。 1928年に旧玉南側の軌間が1372mmに改軌され新宿−東八王子間の直通列車が走り始めた。

写  真
基本情報


所 在 地 : 日野市高幡733
        高幡不動
MapCode : 2874020*37
建 立 日 : 1927年 2月
建 立 者 : −−−
種   別  : 開通・開駅碑
撮 影 日 : 2004年 7月10日


碑  文 玉南電氣鉄道記念之碑     鉄道大臣正四位勲二等小川平吉閣下題額
本鉄道ハ京王電氣軌道ノ終点東京府北多摩郡府中町大国魂神社前ニ起リ同郡西府村ヲ経多摩川ヲ横断シ支流浅川ニ沿ヒ南多摩郡七生由井諸村ヲ過キ八王子ニ至ル地方鉄道ニシテ大正九年沿道其ノ他有志ノ発起ニ係リ十一月十日初テ八王子市桑郡公會堂ニ発起人會ヲ開キ沿道ニ創立委員五十二名ヲ置キ其ノ中井上篤太郎氏外十二名を常任委員に挙ゲ敷設免許ヲ申請ス十年十月免許十一年七月資本金ヲ壱百五拾萬円ト定メ役員ヲ選定シ會社成立ヲ告ケ直ニ本測量ヲ終ヘ工事施工認可ヲ申請シ幾許ナラスシテ認可セラル全線ヲ五區及多摩川橋梁工事ニ分チ先ツ至難ナル橋梁ヨリ工ヲ始ム役員力ヲ協ハセ鋭意督勵殆ト寧日ナシ十四年三月全線竣成二十四日一齊開業二十六日高幡驛構内ニ大ニ官民ヲ會シ開通ノ式ヲ舉行ス今工事ノ梗概ヲ記スルニ軌間三呎六吋軌條重量六十封度電氣ヲ動力トシ電氣方式直流六百ウ゛オルト架空單線カテナリー吊線式鐵柱ヲ用ヒ線路延長十哩一分用地五萬五千六百餘四坪客車ボギー式八十六人乗五輌七十二人乗小荷物一頓積合造車五輌十頓積貨車一輌回轉變流機二百五十基ニ臺建設総總費額實ニ貳百参拾参萬五千餘圓トス又幸補助法ニ據ル補助ヲ得ス開業日淺ク収入金ノミヲ以テ配當ヲ為スヲ得ス是ニ於テ京王電氣軌道ニ合併スルノ策ヲ立テ十五年十月兩社臨時株主總會ヲ開キ之ヲ議定シ十二月合併昭和元年十二月解散手續ヲ完マノス爾後京王電氣軌道會社ト合シ幾多ノ施設ヲ遂行シ経營今日ニ至ル茲ニ其ノ沿革ヲ掠敘シ沿道乃係者ノ知悉ニ便スト云
昭和二年十月         元玉南鐵道株式會社社長勲四等井上篤太郎撰
                              正七位勲七等武  田  白書
  
碑文文意 玉南電気鉄道記念の碑      
玉南電鉄は京王電鉄の終点である府中市の大国魂神社前を起点に北多摩郡西府村(分倍河原・中河原)を経由し、多摩川を横断して其の支流である浅川に沿って七生村(百草園〜平山城址公園)、由井村(長沼・北野)の諸村を通って八王子に至る地方鉄道であり、大正9年沿線その他の有志により発起され、11月10日に八王子市の桑郡公会堂で第1回の発起人会を開催した。 沿線より52名の創立委員を選出し、其の内の井上篤太郎氏他12名を常任委員とし鉄道敷設免許の申請を行った。 10年10月に免許が下り、11年7月に資本金を150万円と定め、役員の選定を行い会社の設立をした。  直ちに本測量を終え、工事施工の認可申請を行ったところ、あまり時間もかからずに認可された。 全線を5区間と多摩川の橋梁工事に分け、先ず、難工事である多摩川橋梁から工事を始めた。 役員は力をあわせ工事を監督し励ますことに専心し、ほとんど安らかな日は無かった。 14年3月に全線が竣工し、24日に一斉開業、26日に高幡不動駅構内に多くの役人・民間人が集まり開通式を挙行した。 いま、工事の概要を記するに、軌間は3フィート6インチ、レールの重量60ポンドで電気を動力とし、電気方式は直流600V、架線は単線のカテナリー吊線式で鉄柱を用いている。 線路延長は10.1マイル、用地面積55604坪である。 車両はボギー式で86人乗り客車が5両、72人乗りで小荷物1トン積の合造車が5両、10トン積貨車が1両である。 回転変流機は250基(ラジカル)2台である。 総建設費は実に133万5千余円である。 また、幸いにも補助法による補助を得ることが出来た。 開業から日が浅く、営業収入からだけでは配当を出すことが出来ないので、京王電鉄と合併することとし、15年10月両社で臨時株主総会を開き、合併を議決し、12月に合併、昭和元年12月に解散手続きを完了させ、以降、京王電気軌道会社と一緒に幾多の施設を行い、経営は今日に至っている。 ここに、その沿革の大要を述べ沿線の関係者が細かいことまで知る為の機会とする。
昭和2年10月  元玉南鉄道株式会社社長勲四等井上篤太郎撰

碑文前の説明 玉南電気鉄道の記念碑
 京王線は大正二年に笹塚・調布間が開通、同年からは新宿・府中間に直通電車が運転されました。 さらに府中・八王子間の建設という地元の強い要望がありましたが、京王電気軌道は揺らん期の苦闘時代にあったため大正十一年別会社「玉南電気鉄道株式会社」を設立、新線の建設に着手しました。
 こうして大正十四年三月二十四日に府中・八王子間が開通、二十六日には高幡不動駅構内で開通式が挙行されました。 その後、大正十五年十二月京王電気軌道と合併し、軌道幅も統一して新宿・八王子間の直通運転が開始されるに至ったのです。
 この碑は、昭和二年十月、玉南電気鉄道創業当時のいきさつを記して建立されたものです。

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