東上鐵道記念碑
碑の背景
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東上鉄道は巣鴨(東京)から渋川(上野国)を結ぶ鉄道として1908年(明治41年)に仮免許を受け、社名を両端から1字とり東上鉄道とした。 1914年(大正3年)5月池袋−田面沢(1916年坂戸まで延長した時に廃止。川越から2.2km)間33.5kmが開通した。 この碑は東上鉄道の開通に尽力した内田三左衛門を顕彰するためのもので、当初、上板橋駅に建立されたものが池袋に移され、さらに、現在地へと移転された。

写  真
 
基本情報
 所  在  地 : 豊島区池袋本町4−43
           下板橋駅
 マップコード : 881093*20
 建  立  日 : 1919年5月
 建  立  者 : −−−
 種      別 : 顕彰碑
 撮  影  日 : 2008年 7月11日

碑  文 東京府知事正四位勲二等法学博士井上友一  題額
東上鐡道ハ曩ニ南北縦貫毛武上越京越日本興業ノ各鐡道ニ於テ企畫シタルモ當事ノ状況ハ未タ其目的ヲ達スルニ至ラス沿道諸町村ハ多年ノ期待ニ反シ文明ノ恵澤ニ浴スルコト能ハサルヲ嘆シテ已マサリキ爰ニ内田三左衛門氏外十名ノ有志ハ蹶起シテ東上鐡道株式會社ヲ設立シ本鐡道ノ敷設ハ一日モ閑却スヘカラサルヲ提唱シ東奔西走同志ヲ勤説スルコト年餘漸クニシテ發起人三十四名ヲ得遂ニ會社ノ確立ヲ見ルニ至レリ即チ東京澁川間七十四哩更に越後長岡マテヲ豫定線トシテ明治三十六年十二月申請同四十一年十月時ノ内閣總理大臣桂太郎閣下ノ許可指令ヲ得タリ是ニ依テ直ニ敷設ノ工ヲ起シ其ノ竣成ヲ急キタルトモ艱險ナル地形ニ阻格セラレ工事遅々トシテ進マザリキ然ルトモ辛萬苦百難ヲ排シ遂ニ大正三年五月全ノ其ノ工ヲ竣ヘタリ爾来廣ク交通運輸ノ便ニ資シ今日ノ盛況ヲ呈スルニ至レリ是固ヨリ發起人諸氏ノ慘澹タル苦心ニ俟ツト難モ就中内田氏ノ熾列ナル公共心ト高潔ナル犠牲的精神トニ職由スル所多シ氏ハ天文年間川中島ノ戦ノ時上杉謙信ノ麾下ニアリタル越後ノ勇士宇佐美駿河守定行ノ後裔幼時故アリテ内田姓ヲ冒シタルモノナリ父祖ノ血ヲ享ケタルノ然ラシムル所カ氣節ニ富ミ其ノ行状大ニ常人ト異ナレリ殊ニ本鐡道ノ創設ニ當テハ家財ヲ?盡スルヲ顧ミス巨資ヲ投シテ専心一意其ノ完成ノ為メニ盡瘁セリ其ノ功勞ノ顯著ナル當ニ本鐡道ト共ニ沿道諸町村ノ永ク記念スヘキモノナリ茲ニ有志相謀リテ石ニ勒シ将来ニ告ケントスル亦故ナキニアラス
          東京府豊島師範學校教諭 井 上 宗  助 撰
          同            教諭 三 宅 喜代太 書

碑文文意 東上鉄道は先に南北縦貫、毛武、上越、京越、日本興業の各鉄道において計画をしたが、当事の状況では未だ其の目的を達するには至らず、沿道の諸町村は多年の期待に反し、文明の恩恵に浴することが出来ないことを嘆きが増してきた。 ここに、内田三左衛門氏と10名の有志が決起し、東上鉄道株式会社を設立して、この鉄道を敷設するのに一日でも放っておいてはいけないと東奔西走し、同志を説得し一年余で漸く発起人34名が揃い、遂に会社を設立することが出来た。 すなわち、東京渋川間74マイル(118km)、更に越後長岡までを予定線として明治36年(1903年)12月に申請をし、明治41年(1908年)10月に当時の内閣総理大臣桂太郎の許可指令を得た。 是によって、直ちに敷設工事を起工し、竣工を急いだが、険しい地形に阻まれて工事は遅々として進まなかった。 然しながら、幾多の苦しみや難関を排し遂に、大正3年(1914年)5月全ての工事が竣工した。 それ以来、交通運輸に広く用いられ今日の盛況をみるに至っている。 これは言うまでもなく、発起人諸氏の惨憺たる苦心によるが、その中でも特に内田氏の強烈な公共心と高潔な犠牲的精神によるところがが大きい。 内田氏は天文年間にあった川中島の戦の時、上杉謙信の直属の部下であった越後の勇士である宇佐美駿河守定行の子孫であが、故があって幼い時に上田姓を名乗るようになった。 祖先の血を享けたことで当然ではあるが、意気高く志も強く、その行状は一般の人とは異なっている。 特に本鉄道創設に当っては家財を食潰すことも顧みずに巨資を投じ、一心にその完成の為に尽力をした。 その功績は顕著なので本鉄道と共に沿線の諸町村の永く記念すべきものである。 ここに有志が相談しあって石碑を建て将来に告げようとするのも、故が無いわけではない。
          東京府豊島師範學校教諭 井 上 宗  助 撰
          同            教諭 三 宅 喜代太 書
碑右の解説 東上鉄道記念碑
 この記念碑は、明治三十六年(1903)に創立申請された東上鉄道株式会社の由来と、建設にいたる経緯が記された石碑であり、大正八年(1919)五月に上板橋駅に建てられました。
 東上鉄道は、当時の小石川区下富坂町(文京区)を起点として、巣鴨町−上板橋村−川越町−児玉町−高崎市を経由し、渋川町(群馬県渋川市)に至る路線が計画されていました。 発起人総代は千家尊賀ですが、その実現のために尽力したのは、板橋区蓮根で醤油醸造業を営んでいた内田三左衛門でした。
 碑文には内田が「東奔西走同志ヲ勧説」し、「千辛万苦百難ヲ排」し、開業に導いたという経過が刻まれており、その功績を顕彰する内容となっています。
 東上鉄道は、東武鉄道社長根津嘉一郎の参画により、大正三年に池袋−田面沢間が開通し、同年九月に東武鉄道に合併して東武東上線となりました。
 その後、この石碑は、上板橋駅から東上線池袋駅に移されますが、駅周辺の開発にともない移転を重ね、現在に至っています。
 平成十七年度に板橋区登録記念物となりました。
    平成十九年三月       板橋区教育委員会

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