下川原線の歴史
碑の背景
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 下川原線は碑文にもある様に、多摩川の砂利を運搬する事を目的として1910年に国分寺〜下河原間で建設された東京砂利鉄道が前身となっている。 路線は国分寺駅から中央線に沿って下り方向に向かい、北国分寺付近で府中街道沿いに府中本町方向に向かっていた。 北府中駅までは現在の武蔵野線に生まれ変わり、北府中から先は府中市の緑道となっている。 この碑がある場所は府中街道と甲州街道が交差する寿町三丁目交差点から100m程西の所である。
  
写  真
基本情報


所 在 地 : 府中市本町
MapCode : 5012367*24
建 立 日 : −−−
建 立 者 : 府中市
種   別  : 跡地碑
撮 影 日 : 2017年 3月13日

碑  文     下川原線の歴史
 ここは、かって国鉄下河原線の線路敷でした。
 明治43年(1910)、東京砂利鉄道が多摩川の砂利の採取運搬を目的に、国分寺から下河原(府中市南町三丁目)まで貨物専用鉄道を開通させました。  その後、大正3年(1914)の多摩川大出水による被害で一時閉鎖しますが、大正5年(1916)に軍用鉄道として復活し、大正9年(1920)に国有化され、名称も下河原線となりました。  昭和8年(1933)に東京競馬場が解説すると引き込み線がもうけられ、昭和年(1934)より競馬開催日に限り乗客を輸送するようになりました。  戦時体制が深まってきた昭和19年(1944)に、国分寺〜東芝前間で通勤者用専用電車を運転、戦後の昭和24年(1949)からは国分寺〜東京競馬場前間の常時運転が開始されましたが、昭和48年(1973)の武蔵野線開通にともない旅客が廃止になり、昭和51年(1976)には貨物線も廃止され、66年にわたる歴史の幕を閉じました。
 この跡地は、府中市が国鉄から用地を受けて自転車・歩行者道、花と緑の緑道として整備し、郷土の森や市民健康センターなどを結ぶ、市民のための道として生まれ変わりました。

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